人は右目と左目の間の狭い空間に何をもっているかで判断される
オノーレ・ミラボー
フランス革命初期の中心的指導者であるミラボー伯爵オノレ・ガブリエルド・リケッティの言葉だ。
「ミラボー橋の下をセーヌ川が流れる…」ではじまるアポリネールの詩「ミラボー橋」といえば、その名を聞いたことがある人もいるはず。
右目と左目の間にある「第三の目」。
第六感が覚醒されると、この目が開かれる。
ブッダの白毫、ヨーガのアージュニャーチャクラ、シヴァ神の額の目がこれだ。
五感とは別の、本質を見抜く力。
それが第六感である。
世の中の動きを見極め、行き先を定めるには、単に流れに身を任せるだけでは激流に飲み込まれてしまう。
では、どうすれば流れに飲み込まれずにすむのか。
そのとき「右目と左目の狭い空間」がものをいう。
いや、ものを見るのである。
「どうして川は上から下へ流れるのだろう」「なぜ、川に映った月は流れないのか」
そんなの当たり前じゃないか、と捨ておいたあなたは要注意。
第三の目が固く閉じている模様。
水急不流月(みずきゅうにしてつきをながさず)。
どんなに急な流れでも水に流されない月の不易と、絶えず流れる川の流行は世の常だと心して世の中を見渡せば、見えないものが見え、微かな動きさえも見えてくるはず。
(161222 第268回)