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紺碧の将

美で包んでくれる都心のオアシス

2019.08.19

 前回、大きな美術館で開催される興行然とした美術展は疲れるばかりで行きたくないと書いたが、都内にも〝本物の〟美術館はいくつもある。

 美術館の本質は、人類の知的財産でもある芸術品を間近で鑑賞できること。それによって鑑賞者は日常の雑念を忘れ、心のリセットができる。時代を超えても摩耗しない本物の美は、観たあとも人の心に残り、おりにふれ心象に現れる。それがどれほど人生を豊かにするか、私はわかっているつもりである。

 とはいえ、美術品をただ並べておけばいいというものではない。相応の展示の仕方や、主題に沿って体系化されていることも求められる。

 そういう意味で、本来あるべき美術館のひとつが、根津美術館だろう。

 日本列島が沸騰するような暑さのなか、根津美術館で開催されている「優しいほとけ・怖いほとけ」展を観た。キュレーターの切り口は洗練され、展示作品は興味深いものばかりだった。会場はこじんまりとしているが、なにかに急き立てられるような空気はない。鑑賞者が溢れるような状況でもなかった。

 以前、奈良の唐招提寺で、お坊さんが参拝客に説明しているのを間近で聴いていたことがある。

「仏像にはいろいろあって、どれがどういう役割なのかわからんやろが、4つの序列を憶えておくといい。悟りを開いたのが如来、仏の教えを優しく衆生に説くのが菩薩。その次はなんやと思う?」

 お坊さんはその人に問うた。

「明王ですか」

「その通り。悪行に染まった人をいい方に導いたり外から仏教世界を守るのが明王や。で、その下は?」

「天・・・・ですか?」

「その通り。あんたよくわかっとるな。外敵を撃退するのが天や。だから明王も天も怖い顔をしてるやろ」

 そんなやりとりだった。それを聴いていた私は、なるほどと合点した。仏にも序列というか役割があるのだな、と。

 そんなことを思い出しながら、根津美術館の企画展を堪能した。

 作品を鑑賞したあとは恒例の庭園散策。ここの庭園はどの季節に来てもいい。よくぞこれだけの庭園を遺してくれたと先人に感謝する。小径は掃き清められ、樹木や野草は人の手で整えられている。地形の高低差があって起伏に富んでおり、茶室の佇まいもいい。

 この庭に生まれた(であろう)セミは、嬉しそうに大声でミーンミーンと鳴いていた。

 

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(190819 第925回 写真上は根津美術館のエントランス。下は庭園のお地蔵さん)

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