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紺碧の将

樋口廣太郎の英断

2016.09.19

大山﨑山荘美術館1 取材で神戸へ行ったついでに、京都にあるアサヒビール大山崎山荘美術館を訪れた。10年前に次いで2度目である。

 無性に行ってみたくなったのは、つい先日、高杉良の『最強の経営者 アサヒビールを再生させた男』を読んだからだ。〝夕日ビール〟と揶揄され、凋落傾向が著しかったアサヒビールを再生させた樋口廣太郎の迫真のドキュメントである。
 樋口廣太郎氏の講演を聞いたことがあるが、中身はあまり覚えていない。声がデカイということとオペラが好きというくらいだった。しかし、この本を読み、あらためて樋口廣太郎という男の胆力に震えた。この人、幕末〜明治期にかけて多くの志士たちがもっていた「わしを斬ってから行け!」という決死の覚悟をいつも胸に抱いていたようだ。アングロサクソンタイプの強権的なリーダーでありながら、情もあった。

 その樋口廣太郎が当時の京都府知事から打診されていたことがあった。大山崎山荘という由緒ある山荘が壊され、高層マンションが建つ計画があるからなんとかしてくれないか、と。つまり、アサヒビールが買い取って、活用してくれないかということだった。おりしも、ある人を通じて第一生命が所有しているモネの大作7点を買い取ってくれないかという話もきていた。樋口氏はモネの大ファンだ。
 オーナー社長でもないのに、彼の決断は早い。しかも、ごり押しがきく。山荘とモネの絵を買い取り、設計を安藤忠雄氏に任せ、アサヒビールのみならず大山崎山荘も再生させてしまった。

 

大山﨑山荘美術館2 訪れた日は小雨が降りしきっていたが、山荘は温かく迎えてくれた。水滴をまとった木々の葉が輝いていた。100年に及ぶ歴史の重みを感じさせる建物は、建設当時の職人たちの技術の結晶とも言える。途方もなく太い梁を用いるなど剛胆でありながら、随所に細かい手業が生きている。
 選び抜かれた木材や石材に対して、安藤氏は打ちっ放しのコンクリートを用い、不協和音的な調和を図った。なるほど、「地中の宝石箱」へ至る階段は、異空間へのアプローチにふさわしい。
 7枚のモネの作品はじつに見応えがある。じっと息をひそませて座っていると、あたかもモネの庭にいるかのような錯覚さえ覚える。
 ひとつ残念だったのは、曲面のコンクリートの上に、平面の板を被せていたことだ。たしか10年前は曲面の上に直接絵を掛けていたと思い、「見張り」の方に問うと、「そうです」と返ってきた。平面の板をつないでいるため、つなぎ目にタテの線が現れる。これでは曲面の打ちっ放しのコンクリートを造った意味がないではないか。パリのオランジュリー美術館やマルモッタン美術館のように美しい「モネの間」であっただけに残念だ。よもや樋口氏に会うことはないだろうが、もし会う機会があったら、なぜそうしたかを訊いてみたいと思っている。
(160919 第665回 写真上は山荘と「地中の宝石箱」へ至る小径。下は蓮池と「夢の箱」)

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