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紺碧の将

日本人は愛情表現の天才だった

2015.09.26

 永青文庫で春画展が開催されている。

 キャッチコピーは、「世界が、先に驚いた」。そりゃあ、驚くだろう。これほどあけすけに性行為を描いた絵など、少なくとも西洋にはなかったはずだ。
 レセプション会場には老若男女大勢が招かれていたが、みな、平然とした表情で見ているのが面白かった(私もその一人だが)。内心は「!!!!!」の連続であっただろうに、冷静を装っている。なんとも人間というものは面白い生き物だ。
 展示されている絵を見ると、われわれ日本人のご先祖は、セックスの天才だったということがわかる。とにかくせっかく生まれてきたからにはうんとセックスを楽しもうぜ! というどん欲さと楽天性が感じられるのだ。まったく隠微な感じがしない。野原や物陰は言うに及ばず、住宅の上がり框や居間など、本来パブリックなスペースとされているところでも平気でセックスしている。もちろん、覗く人がいてもオッケーだ。それどころか、従者や侍女がすぐ近くにいて面倒をみているシーンもある。交わっている最中の男のすぐ近くで、下男が男のキセルを持っている絵もある。右上の絵のように、野外での3人プレーもある。女性がタコに自らの性器を吸わせ、よがりまくっている絵もある。とにかく、なんでもアリだ。日本は和の国と言われるが、じつは男女の「和」でもあるらしい。私の友人に「和男」という名の人がいるが、そう考えると、あまりにも納得してしまう。
 幕末、日本にやって来た西洋人(南蛮人)たちは心底驚いたらしい。ある書物にも、その驚きが記されている。なぜ、これほど知的で慎み深く、教養のある国民が、あっちでもこっちでも男女が交わっているのか、と。
 でも、どうなのだろう。あまりにもあからさまに行われていると、秘め事の価値が下がりはしまいか。だって、なかなか目にすることができないからこそ驚くわけだし、当事者もえも言われぬ境地に達する。さあ、どうぞと言わんばかりのオープンさはどうなのかと思う。
 私が20代の頃、ビニ本なるものが流行った。その名の通り、ビニールでこん包されたエロ本だ。見たいのだが、買わなければ見られない。ついつい生唾が出るのをこらえてレジへ持って行って購入し、家に持ち帰ってこっそり見た時のあの感動たるや! ちょっとでもヘアが写っていようものなら、頭がクラクラした。隠されていたからこそ味わえた驚きだ。今のようにネットで流れ放題(一説によると、AVに出演している女性は数十万人とも言われる)だと、当然ながら感動はなくなる一方だ。
永青文庫 ところで、永青文庫の理事長として、さるお方が挨拶した。誰かと思えば、細川護煕元首相だった。偶然私は細川氏のすぐ隣に立っていたのだが、かつてこの国を双肩に背負ったというオーラはまったく感じられなかった。彼は絵画、書、陶芸など創作家としても活動しているが、文士という雰囲気でもなかった。なんというか、あまり覇気が感じられないというか、よく言えば、お大尽風で俗っぽさがないのだ。仕立てのいいスーツなのだろうが、一見するとニッキュッパのそれにも見えた。それって、いいのか悪いのか。
 会場となっている永青文庫はじつに素晴らしい。細川家に伝来する歴史資料や美術品などを収蔵している。こういう由緒ある、風雅な建物での美術展は大賛成だ。
 ところで、多くの春画を眺めていて、疑問に思ったことがあった。なんでもアリなのに、女性が男性の性器を口唇で愛撫している行為を描いたものが皆無だったのだ。その反対(男性が女性を)はあるのだが、なぜだろう。
 なぜか? 誰か知っている方はいますか。細川サンに訊けばわかるのだろうか。
(150926 第582回 写真上2枚は今回展示されている春画。下は開催会場の永青文庫)

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