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奇妙な「文末ので」

2014.12.22

2015 高久名刺 数年前から気になって仕方がない言葉遣いがある。やたらと「ので」を多用すること。

 はじめはスポーツ選手に顕著だった。例えば、こんな具合。
「これまでやってきたことを生かすことが大事だと思うので、いい結果につながればいいかな、と」
 ま、これはちょっとおかしい程度で、特段おかしい言葉ではないかもしれない。が、スポーツ選手のインタビューで「ので」を使わない人はめったにいない。イチローなど、ごくわずか。時に、まったく使わない人がいると、「この人、『ので』を使わなかったよ!」と驚いてしまう始末。最近はスポーツ選手にとどまらず、多くの人が「ので」を多用している。
 しかも、文末が「ので」で終わって、その後が続かないという現象に発展している。
 例えば、「私はBの方がいいと思うので〜」「荷物が着きましたので〜」「しばらくぶりに会ったので〜」などで終わってしまうケース。
 通常、「ので」は前の文と後ろの文の関係性を表す言葉で、「Aので、Bだ」という風に使われる。しかし、「ので」でいきなり終わってしまうと、その後に続く言葉は「あなたが勝手に考えろ」ともとれなくはない。いずれにしても、途中でハシゴをはずされた気分で、「?」という状態になってしまう。
 どうしてこういう言葉遣いが流行してしまったのか。
 つらつら考えるに、次のような理由を導き出した。
1 なるべく断定を避けたい
2 すべてを言うほどの語彙力がない
3 面倒くさい
 などが考えられる。
 1は日本人特有の傾向だろう。2は最近の読書離れでもわかるように、語彙力が極端に低下している現れ。3はなんでも省略してしまうのと同じで、とにかく面倒だということ。ま、どうでもいいか、こんなこと。
 では、これにて今回のブログは終わりますので。 
(141222 第536回 写真は新春放談のポスター。もちろん、ジョークです)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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