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安達太良のリベンジ

2013.11.06

安達太良山頂 11月1日、福島県の安達太良山に登った。

 じつは、3年前もトライしたのだが、峰の辻付近で濃厚な霧に包まれ、周りが見えなくなってしまったので、やむなく断念したという経緯があった。だから、リベンジの意味もあった。

 もしかすると、まだ紅葉が残っているかもしれないと一縷の望みを抱いていたが、ほとんど散ってしまった後で、登山客はほとんどいなかった。その分、静かに山を歩くことができた。

 安達太良山は「日本100名山」に入っているものの、標高わずか1700メートル。なんの苦もなく登れるお手軽な山である。

 それにしても「日本100名山」とはいったい誰が決めたのか。安達太良山や筑波山が入っている一方、北穂高岳が入っていない。どう考えても釈然としない。

 さて、登るのは楽だったが、降りるのに難儀した。なぜなら、広島での取材中、足を滑らせて土手に脇腹を痛打し、肋骨ひび割れ事件を起こしてしまっていたからだ。その日は、時間とともに脇腹の痛みが激しくなり、新幹線のなかでもどう座っていいかわからない状態。夜、ベッドに寝るときも大変だった。どういう姿勢でも痛みがあって、体を横たえることができない。床に這いつくばって徐々に高度をあげ、少しずつ態勢を水平にしながらベッドに横になったのはいいものの、こんどは頭を枕のところにもっていくのが大変で、ジリジリと動く様子はさながらムシのようで、自分がザムザになったような自分だった。それでも、朝まで熟睡したは、私の特性と言うべきか。

 その日からわずか12日後の登山だったので、降りるときは着地の際の振動が脇腹に響いたのである。

 整形外科の医師から、「これは特に治療法がなく、安静にしているしいかないんですよね」と言われていたのに、まったく守れない私であった。

 でも、晩秋の安達太良山は風情があった。ところどころに残っていた紅葉がまた鮮やかで、むしろ、ピークの頃よりも印象的かもしれない。

 「楽しみを得るのに例外をつくらない」これ、大切です。

(131106 第464回 写真は安達太良山頂上前の高久)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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