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紺碧の将

作品と一体になる

2013.06.10

昼休み 週末、ふたつの素敵な美術館へ足を運んだ。

 五島美術館と東京ステーションギャラリー。前者は世田谷区上野毛の閑静な高級住宅街にある美術館で、国宝『源氏物語絵巻』を収蔵することで有名だ。他に国宝4点、重要文化財50点を所蔵している。東急電鉄を創設した五島慶太の美術コレクションを保存・展示するために昭和35年に建てられた。

 この美術館の特長は、立派な収蔵品だけではない。勾配のある、広大な森と散策路が際立っている。「お屋敷」と呼ぶにふさわしい風格だ。茶室やお地蔵さんもあって、根津美術館を彷彿をさせる。そういえば、根津美術館は東武鉄道の社長を務めた根津嘉一郎がコレクションした作品を収めた美術館。当時、鉄道会社経営は大きな財をもたらしたのだろう。

 今回の企画は「近代の日本画展」。横山大観、下村観山、菱田春草、狩野芳崖、川合玉堂、川端龍子、小林古径、安田靫彦、奥村土牛など、錚々たる顔ぶれの作品が所狭しと並んでいた。なかでも前田青邨の『紅葉』に感銘を受けた。日本画家が命がけで絵を描いていた時代の空気がひしひしと伝わってきた。

 一方、東京ステーションギャラリーは昨年、改装なった東京駅の駅舎内につくられたギャラリーで、東京駅創建当時のレンガを効果的に使った展示スペースは、ひときわ秀逸。

 今回の企画は「エミール・クラウスとベルギーの印象派」。エミール・クラウスという画家の名は初めて聞いた。日常の生活風景と自然の描写は日本人の感性と共通するものがある。さほど丹念に描いているわけでもないのに、その人の生活や心情までもが表現されている。

東京ステーションのレンガ 彼は逆光を好む。日本人弟子にも、「太陽に向かって描け」と言っているくらいだ。そのため、モチーフを明快に描くことは難しいがその反面、輪郭が光に縁取られて独特の線が現れる。

 右上に掲載の『昼休み』は、後ろ姿の女性は農作業の手を休めている家族に食事を持参していく場面だろう。左手にずしりと食料の重みが感じられる。表情はまったく描かれていないが、家族への温かい眼差しがイメージできる。女性の周りに乱舞する花々もいい。心地よい風さえも感じられる。

 

 次号『Japanist』で紹介する禅の僧侶兼庭園デザイナー・枡野俊明(ますの・しゅんみょう)氏の取材に同行して以来、禅の境地に惹かれている。なんというか、禅はすべてが本質的なのだ。私が唱える「多樂」の概念にもかなりオーバーラップする。

 「おまえが禅?」と笑われそうだが、「ありのままのじぶん」であり続けることを軸としている私の信念は、案外、禅に近いものがあるのだ。もちろん、私は厳しい修行などに耐えられるはずもないし、正座は15秒しかできない。早起きも得意ではないし、精進料理だけで毎日を過ごすことはとうていできそうにない。そもそも毎日酒を飲んでいる。

 しかし、しかしである。禅の教えはじつにストンと腑に落ちる。過去でも未来でもない、たった今に集中するとか、目の前のものになりきるとか、世間の動きに流されないとか……。

 枡野さんがさまざまな禅語を用いて語っていることは「瞬間、瞬間、目の前のことに集中し、そのものになりきること」。それを聞いて、絵を鑑賞するときも、それを描いた画家になりきることに集中してみようとした。画家がいる場所をイメージし、画家の目線や心の動きを思い描く。

 やがて、自分の感性にフィットする絵に出会うと、あたかも自分が描いたような錯覚に陥るのだが、それは作品と一体になったということでもあるのだろう。

 美術館を訪れる楽しみがひとつ増えた。

(130610 第430回 写真は、エミール・クラウスの『昼休み』と東京ステーションギャラリーのレンガ壁。このレンガは東京駅創建当時のレンガである)

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