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幸せはどこにある?(3)

2025.11.23

 幸せとは? という人類にとって永遠の命題に100点満点の正解などない。くどいようだが、幸せとは相対的・流動的であり、耐性があるため、あるときは幸せと感じたとしても、次に幸せを感じるとは限らない、というようなことを前回と前々回に書いた。

 そこで、私は自分なりの幸せの基準をつくろうと思った。30歳の頃だ。

 その伏線となる出来事があった。起業する数年前のことだから20代前半のことだろう。ある顧客の代表者と雑談をした。その人は80歳くらいで、当時、破竹の勢いで業績を拡大させていた不動産ディベロッパーの社長だった。その人曰く、「俺は不幸だ。欲しい物はなにもないし、したいこともない。妻も死んでいるから夫婦で海外旅行をすることもできない。そもそも体調があまりよくないから海外旅行なんかしたくない。高級車を乗り回そうにも、運転免許すら持っていない(いつも運転手付き)、女を求める気にもなれない。あまり食べられないから、贅沢なディナーも要らない。ああ、俺は不幸だ」。

 その前に、自分は300億円くらい持っていると言った後の話だから、はじめは当てつけに言っているのかと思った。しかし、そうではなかった。その人は本心からそう思っていたのだ。そのとき私はこう思った。そうか、こんなに金持ちになっても幸せとは思わないのだな。こういう人にはなるまいぞ、と。貧しかったくせに、そう思った。

 思えば、その体験は私に多くをもたらしてくれた。金は青天井だから、300億円が3000億円になったところで、本質的には変わらない。金の価値が下がり、ありがたみが薄れていくという点では、マイナスの方向へ進んでいるともいえる。

 もちろん、世の中にはそうではない人もいる。数字が青天井だと知ったうえで、とことんまで「より大きな数字」を求める人がいる。5000億円の利益を出したら、次は1兆円という具合に。そういう人が大事業を成し遂げるのだろう。

 向上心を持って右肩上がりに成長することは、幸せを感じるひとつの条件になる。それは事実だろう。会社経営者であれば、競争に打ち勝って少しでも会社を豊かにしたいと思うだろうし、サラリーマンであれば上司に仕事ぶりを認められて出世したいと思うだろう。しかし、繁栄していた会社がいつまでも右肩上がりに成長するとは限らない。ある程度の波があるのは当然だし、破綻を余儀なくされるケースは山のようにある。出世競争に勝ったサラリーマンも、いつかは定年を迎える。平均寿命が長い現代は、定年後の時間がたっぷりある。いずれにしても、下り坂に直面したとき、人は名状しがたい不幸感に苛まれる。それらを見越したうえで、自分なりの幸せの定義づけをしようと思ったのだ。30歳の頃にそんな思いを抱くのは、若者らしくない。老成していたのだろう。

 その頃、考えたことは「多くの楽しみがある人生をおくりたいう」ということ。それも刹那的な楽しさではない。自分が好きなこと、興味のあることにためらわずにトライし、少しずつ自分を磨いていく。そうやって自分という人間を分厚くする。

 それを「多樂」と名づけた。会社経営という難儀なテーマと並行し、そんなことを目指したいと強く思った。

 現在、私は「多樂」を名乗っているが、30数年前に決めた人生のコンセプトを表す言葉だったのである。

 思惑通り、一貫して多幸感を味わっている。経営にはいいときもあれば悪いときもあるが、数字だけで一喜一憂することはなくなった。本来、経営者としてあるまじき姿なのかもしれないが、すっかり自分に定着してしまった考え方を今さら変えることはできない。

 次回は金の話をしよう。世の中は金のことで溢れており、人間の脳が考えることの多くは金のこと。金とうまく付き合わずして幸せを感じることはできないからだ。

(251123 第1298回)

 

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