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紺碧の将

絶景かな、絶景かな

2025.07.27

 ついに蔵王のお釜をこの目で見ることができた。昨年は濃霧に見舞われ、一瞬たりとも見ることができなかった。そのときのことは、本ブログ「見えないときは想像する」で書いた通り。今回はみごとな晴天に恵まれ、眼福を味わうことができた。

 

 小学生の頃、切手収集に夢中になった。当時は空前の切手ブームで、とりわけ沖縄の琉球切手がものすごい勢いで高騰した。沖縄返還前で注目が高まっていたこともあるが、仕掛けたのは投機筋だった。その頃、行き過ぎた高騰は背後で価格を操っている人たちがいると警鐘を鳴らす人もいたが、私は真に受けなかった。価格が上がるのは、それを欲しい人がたくさんいるからだろうと思っていたのだ。さすがに琉球切手には手を出さなかったが(出せなかった)、広重の絵が使われている国際文通週間シリーズは全部揃えたくて、母にねだって4000円もする蒲原を買ってもらったこともある。現在、蒲原は100円くらいで取引されている。

 その後、切手ブームは終息し、価格は暴落した。そのとき、私は多くのことを学んだ。ブームには必ず背後に仕掛け人がいるということ。服の流行もそうだが、あらゆるブームには意図的に仕掛ける人がいて、暴利を貪っている。

 そのとき学んだことは後に活きた。バブルの勃興期に事業を始め、ある程度軌道に乗るや、銀行がお金儲けの不動産案件をたくさん持ちかけてきた。当時、会社と個人合わせて1億円くらいの借入があったから、もし儲け話に乗っていたら、間違いなく破綻していただろう。

 ともかく、切手に夢中になったことは、少年だった私に多くをもたらしてくれた。カタログを穴が開くほど見つめるうち、さまざまな社会の出来事がわかるようになった。切手はなにかを記念して発行することが多いからだ。さらに、すぐれた美術の図案や風景写真を見つめ続けるうち、そういうものに対する眼力が養われてきたようにも思う。

 国定公園シリーズのなかの蔵王(右上写真)を見て、面白そうな山があると思った。いつかは見てみたいな、と。それから思いが叶うまで長い時間がかかったのは、ただ忘れていたからである。

 当日、山形市内の最高気温は37度。しかし蔵王近辺は涼しい風が渡り、まるで別世界であった。この光景は死ぬまで忘れないだろう。

 

あの山を越えれば見えるかも、と考えながら歩く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ついにお釜が見えた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最短距離で拝む

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

反対側から。周囲の複雑な地形も妙味がある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近くの刈田嶺神社

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(250727 第1281回)

 

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