天才歌い手と原発反対集会
つくづく私は雑食だと思う。食べ物の好き嫌いはまったくないし、音楽や読書についてもまさに雑食。
今回は音楽の話である。久しぶりに、血湧き肉躍るアーティストに出会った。フランス人のZAZ。32歳。本国ではエディット・ピアフの再来と言われているらしい。
タワーレコードでなにげなく手に取り、試聴した瞬間、ピアフばりの荒削りな歌が五臓六腑に突き刺さってきた。生命力に満ちあふれた人間の声の力はこういうものかとあらためて思い知らされた。パソコンに打ち込んで作る無機質な曲とは正反対にある。
ハスキーな声と独特の歌い回し。ジャズもレゲエもシャンソンもクタクタに混ぜ、そのうえで余分なものをギリギリまでそぎ落としたプリミティブな音作りに興奮の連続だ。
歯切れの良いアコースティックギターのストロークを骨格に、ハーモニカ、ヴァイオリン、電子ピアノなどが要所でからみつく。それらと絶妙に調和しながら、ZAZの歌声は一度聴いたら耳の奥底に貼り付いてしまうほど個性的だ。
この人は神から選ばれし天才だと思う。その声を通して、“サムシンググレート”の思いを地上の人間たちに伝える役割を担っているという存在。こんな才能に出会うことは、なかなかない。
世の中にはクラシックしか聴かず、その他のジャンルをバカにしている人がいる。そういう人を見ると、「もったいないなあ」と思う。一方、大衆音楽が好きで、クラシックを退屈な音楽と決め込み、毛嫌いしている人はもっと多い。それも「もったいないなあ」と思う。
私はクラシックもジャズもロックもポップスもワールドミュージックも好きだ。選択の基準は、自分にとって「いいか悪いか」だけ。
ZAZが出てきた背景には、フランスの豊穣なミュージックシーンがあることはたしかだ。私が物心ついた頃、フランスやドイツや日本の現代音楽はまったく冴えなかった。
しかし、90年代以降、ジャズの中心がパリへ移行し、そこにセネガルやマリなどから発生したアフリカ音楽も加わり、フランスの音楽シーンは一気に深みが増した。やっぱり、ハイブリッドは強い。ZAZはハイブリッド(混血)の申し子でもある。
ところで、話題はいきなり変わって、16日(月)に代々木公園で開かれた脱原発集会のことに及ぶ。その集会のことはまったく知らなかったが、翌日の朝刊で知った。
記事を読むと、75000人(主催者発表は17万人)が集まったという。この集会では著名な音楽家が「たかが電気のために……」と言ったそうだが、彼は「たかが電気」がなくてはやっていけない音楽業界に身を置き、文化的な暮らしをしている。おそらく、当日は「たかが電気」を使った電車か「たかがガソリン」を使った自動車で会場まで移動したのだろう。そういうのを欺瞞、偽善と言わずしてなんというのだろう。
「そうか、おまえは原発賛成なんだな」とムキになる人もいるにちがいない。
バカ言っちゃいけない。原発がいいはずがない。東電などは、168の子会社と97の関連会社でガッチリ既得権益を固めている、とんでもない組織だ。そういった既得権益の塊とも言える組織の解体をはじめ、原発に依存しない社会を作る設計図は早急に作らなければいけないと思う。ただし、ものごとには順序がある。
原発ゼロと主張する人たちは、代替エネルギーをどう考えているのだろうか。今のように年間4兆円もかけて原油や液化天然ガスを輸入し、多くの二酸化炭素を排出しながら賄えばいいと思っているのだろうか。そもそも、いつまでも原油を輸入できると考えているのだろうか。
現在、日本への原油の供与国として1位のサウジアラビア(総輸入量の3割)は、あと16年くらいで石油生産量と自国の消費量が同じになる。そのため、現在、数十基もの原発を計画しているが、それだけをとっても、日本が安定的に原油を輸入し続ける国際環境ではなくなりつつあるということがわかる。そういうことをほんのわずかでも知れば、原発反対デモと代替エネルギー提案はセットでしなければいけないことは自明の理だろう。
例えば、だが、こういうのはどうだろう。
国民が資金を拠出し、自然エネルギーファンドを作る。それを基に、国家的プロジェクトとして自然エネルギーの開発を大胆に進める。優秀な技術者を集め、通常20年かかるものであれば10年くらいで開発し、その技術を海外にも輸出する。それで得た利益の一部を国民に配当という形で還元する……。
これはただの思いつきなので、さまざまな問題があると思うが、要するに、「自分の生活は変えません。お金は出しません。政府のやっていることは批判します」というスタンスでは何も変わらないということ。
せっかくの集会を「憂さ晴らし」ではなく、意義あるものにするためには、一人ひとりのアイデアと覚悟が求められるのではないか。
(120718 第354回 写真は、ZAZのCDと波動スピーカー)