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紺碧の将

広告が文化だった時代

2024.06.22

 電通本社に隣接したカレッタ汐留で、「コレって広告?!展」が開催されている。西洋の文化が入ってきた時代の「赤玉ポートワイン」のポスターや東京オリンピックの亀倉雄策のポスター、あるいは「不思議大好き」を代表とするバブル時代の広告などが時系列で並べられ、その後、広告の本質を探るさまざまな試みがなされている。

 さすが電通、と唸ってしまう半面、広告を取り巻く環境が著しく変わってしまったことが一目瞭然で、愕然とせざるをえなかった。

 私が広告の企画・制作の事業を始めたのは1987年。まさにバブルの勃興期だった。バブルそのものにはもちろん多くの弊害があったが、いい面もあった。広告もその一端で、ユーモアやウィットの利いた、ハイセンスで文化の薫り高い広告物がたくさんあった。一部は「作品」と言っていいほど質が高かった。私もそういうものを目指し、日々の業務に当たっていた。

 当時、もっとも印象に残っている広告のひとつが掲示されていた。 1990年、新聞に掲載されたVOLVOの企業広告で、キャッチコピーとボディコピーだけで構成された、いたってシンプルな広告。

 キャッチコピーは、

「私たちの製品は、公害と、騒音と、廃棄物を生み出しています。」

 スゴイ!

 きれいごとだけではなく、自分たちの商品が環境に対して大きな負荷を与えていることを公然と伝えたのだ。このような問題意識があったからこそ、その後の部品のリサイクル化と有害物質の除去が進んだのだと思う。

 現代の広告を見ると、そのほとんどが殺伐とし、心のかけらもないようなものばかり。手法も年々下品になり、特にネット広告は見るだけでイライラするようなものばかりだ。不祥事を起こしている企業の広告は、空疎な言葉が並べられていることが多い。きれいごとばかりで中身がまるでない。

 整形したような広告は信用に値しない。これ、広告の本質。

 

 社会を反映しているのだろう。最近の選挙をめぐる〝何でもアリ〟的な行為には呆れて言葉も出ない。民主主義も末期症状を呈している。つばさの党、NHK党……、彼らの頭をMRIで輪切りにして中を覗いてみたいものだ。プラごみがつまっていたりして。

 

?と!を立体化している

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バブル時代の広告はほんとうに面白かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これはVOLVOの広告。素晴らしいのひとこと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「広告って何ですか?」の壁には、思い思いの言葉が貼ってある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上の階へと至る階段。そこには広告に関連した書籍がたくさんある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(240622 第1227回)

 

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https://www.compass-point.jp/book/konpeki.html

 

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