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霧につつまれて

2012.10.02

 神様に許されて、日光白根山に登ってきた。と書くと、

いかにも大げさだが、そう思いたくなるほドン

ピシャの登山時間を与えてもらった。前日まで雨、当日の朝も雨。一度は登山口へ向かったも

のの、金精峠を越える頃、あたりは濃い霧に覆われ、大粒の雨が降ってきた。これでは絶対登れないと判断し、きびすを返して道路を下り、竜頭の滝あたり

まで戻った頃、いきなり晴れてきた。 
 えーい、ダメでもともと、とにかく登山口まで行ってみようと思い、再びきびすを返した。すると、なんと雨があがったのだ。
 前回、白根山に登ったのは、2008年10月。そう、忘れもしない、密かに「カズオ事件」と呼んでいる事件が勃発した、あの日以来である。
 あのときも朝から雨が降り、途中から霧がたちこめてきた。そして、私は淡谷のり子じゃなく、あわや死にそうになったわけだが、あのときの恐怖がまだ体にしみ込んでいるらしく、途中、霧がたちこめてくると、少しずつ恐怖感が増してきた。
「あんなことをされてもヤツと山に登るんだから、高久さんも相当の変わりモンだな」
 と、変人扱いされる始末である。
 白根山は思いの外、足場が悪く、ロープや鎖が万全ではない。頂上にたどり着いたときはかなり霧に覆われ、視界は遮られていた。本来であれば頂上当たりでのんびりしたかったのだが、いそいそと下山することにした。
 下山すると、間もなく雨が降ってきた。まるで、天上から神様が見ていたかのように。

 それにしても山はいい。もっと若い頃から登っていればよかったと悔やまれる。
 どうしてそんなにいいのかというと、「無」になれるのがいい。ふだんの生活で、「無心」になれるときはそう多くない。人によっては、皆無といっていいだろう。特に、経営をしている人は、例外なくそうだろう。無心どころか、心の中は煩雑きわまりないはずだ。うまくいってなければもちろんのこと、うまくいけばいったで、いろいろ煩わしいことがたくさんある。もちろん、それはそれで愉しいのだが……。登山は、そういった諸々の煩わしさをいっとき忘れさせてくれる。
 今年は、今までになく人の生き死にについて深く考えた。どうして人は生まれてくるのだろう。そこに意味はあるのか。何をなすべきなのか。どう生きれば、生をまっとうしたことになるのか。そもそも自分はどう生きたいのか、あるいはこのあたりでカズオさんを見習うような生き方にシフトチェンジすべきか?……。もちろん、答えが見つかるはずもない。
 そこではたと気づく。そういうことを考えること自体に意味があるのだと。だって、そういうことを考えること自体、それはそれで愉しいもの。
(第371回 写真は、日光白根山頂上にて。まわりは霧)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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