人はつまり「一緒に一人で」いるしかない。
人といても孤独を感じるとか、誰ともなじめず孤独だといって生きづらさを訴える人が増えているようだ。他方、さまざまなコミュニティが生まれ、仲間を求める意識も強くなっていると感じる。SNSや生成AIによって孤独感の埋め合わせも簡単にできてしまう。
人は昔から孤独と向き合ってきた。先達も孤独をテーマにした文章を数多く残している。
ところで、そんなに孤独は嫌なことなのだろうか。
五木寛之の最新エッセイ集『こころの散歩』のなかに、「トゥギャザー・アンド・アローン」というオルテガの言葉を取り上げた西部邁について書かれていた。「人はつまり〝一緒に一人で〟いるしかない」「社交にのめりこみつつも内心ではつねにぽつねんとしているということ」という西部の解釈は、論語の「和して同ぜず」よりもわかりやすいと。
人間が社会的な生き物である以上、他人とまったく関わらずに生きていくことはできない。一方で、なにかに夢中になるときも、目標に向かって努力するときも、所詮は自分だけの行い、つまり孤独であることを忘れてはならないと思う。であるから、協調するところは協調し、みんなといても「自分は自分」という気概を持ち続けたい。
仏教に「同行二人」という言葉がある。解釈はさまざまだが、社会的な生き物である自分と孤独な自分と理解してもいいのではないか。自分の心のなかで、つねにその両者が手を取り合って共存している。そう考えれば、孤独はむしろ守り神ともいえる。
(260721 第899回)
髙久多樂の新刊『STAND ALONE』発売中
https://www.compass-point.jp/book/standalone.html
本サイトの髙久の連載記事















