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天下の大悪人の素顔に迫る

file.072『じんかん』今村翔吾 講談社

 

 ずっと気になっていた人物がいた。それが松永久秀だった。彼の行動原理が理解できなかったからだ。仕えた主人を殺し、織田信長に2度も謀反を起こし、将軍・足利義輝の暗殺にも関わり、東大寺大仏殿を焼いたという諸々の悪事によって、日本史上屈指の大悪人というイメージが固まっているが、いつでも殺せる状況で信長を助けたりと行動に一貫性がない。もしかすると、久秀はそれほどの悪人ではなかったのではないかと思っていた。後世の人間による〝風評被害〟ではないかと。

 上杉謙信が敵に塩を送ったことなどどの資料にも書かれていないが、〝義の人〟謙信ならそれくらいしてもおかしくない、いや、そうであってほしいという思いによって架空のエピソードがつくられ、いつしかそれが事実であったとして人口に膾炙するなど、歴史上の人物は作為的に人物像を成形される。特に、現実離れした美談と極端なヒールには要注意、鵜呑みにしてはならないとずっと思ってきた。

 今村翔吾という若い作家が書いた松永久秀像は、すとんと腑に落ちた。この久秀像も史実をベースに作者が創作したものであることに変わりはないが、案外久秀という男はこんな人間だったのではないかと思える。本コラムで新刊を紹介することは珍しいが、ぜひとも取り上げるべきと判断した。

 松永久秀の人物像に迫るアプローチがユニークだ。なんと、信長に対して2度目の謀反を起こしたことを伝えに来た狩野又九朗という小姓を相手に、久秀本人から聞いた彼の半生を信長が話すという手法を用いている。信長といえば、勘気が強く、謀反を起こしたとあれば容赦なく一族郎党を皆殺しにするであろうことは容易に想像できるが、意外にも愉快そうに久秀の人となりを語る。もちろん、これも作者の創作だが、信長も案外こういう人間だったのではないかと思わせる。そうでなければ、あれだけ錚々たる武将を率いて版図を広げることはできなかったはず。たしかに冷酷無比な人物だったとは思うが、恐怖政治だけでは、あそこまでのし上がれない。「案外、こういう人だったかも」と思わせるところがこの作者はうまい。それだけですぐれた小説家の資質をもっているといえるだろう。

 久秀の描き方も用意周到だ。幼少期から青年期を描くなかで、彼に対する既成概念を早々と打ち破ったことだ。いつしか読者は久秀に思い入れ、彼の側に立って当時の世の中を見ている。それまで抱いていたイメージとの乖離が激しく、とまどいながらも。

 民を思う三好元長の家臣となった久秀は、元長の理想を実現することこそが自分の役割だと信じている。そんな久秀に現実の厳しさを突きつける男がいる。久秀に捕らえられた細川高国がこう言うのだ。

「民は支配されることを望んでいる。日々の暮らしが楽になるのを望んでいる。しかし、そのために自らが動くのを極めて厭う。それが民というものだ」

 久秀にとって、虐げられている民がそうであるなど考えたこともない。さらに追い打ちをかけるように高国は言う。

「民は自らが生きる五十年のことしか考えていない。その後も脈々と人の営みが続くなどどうでもいいというのが本音よ。人々は本質的に変革を嫌う。変わることは悪、変わらぬことが善ということが本能的に刻み込まれているのではないかというほどに、その人々の善の心が恐ろしい」とまで言う。善の心も恐ろしいが、人の心をかどわかす宗教も恐ろしいと。

 おそらく、これは作者がこの作品を通じて言いたかったことでもあるだろう。民はしたたかであり、巷間言われるような弱い存在ではない、と。オルテガが『大衆の反逆』で書いたことと酷似している。

 作者は、現代の風潮にも警鐘を鳴らしている。事実かどうかわからない怪情報がSNSによって燎原の火のごとく広がってしまう。捏造された情報が、いとも簡単に事実化してしまう。あたかも、信長の話を聞く前は松永久秀を大悪人だと思っていた又九朗のように。又九朗は一度も久秀に会ったことはないが、さんざん噂を聞いていたことで、勝手に悪人だと思いこんでいた自分の愚に気づく。

 内閣支持率の調査を見ても、同じようなことがいえる。支持しない理由として政策の内容を挙げるのであればわかるが、少なくない人が「首相の人柄が信用できない」と答えている。そこで思うのだ。あなたは首相のことをどこまで知っているのかと。そもそも会ったことすらないだろう。にもかかわらず、信用できないと断定する。

 犯罪者の近隣に住む人がこんなことを語っているのを聞いたことがあるだろう。「とてもあんなことをするような人には見えなかった」。そう簡単にわからないのが人間なのだ。それを念頭に人間を見ない限り、捏造された情報は大手を振ってこの社会をかき乱し続けるであろう。

「じんかん」というネーミングの妙に感心する。人間と書いて「にんげん」と読めば一個の人間を表すが、「じんかん」と読めば、人と人が織りなす間、この世を表すと作者は語る。

 時代小説、歴史小説特有の重みはないが、その分、軽やかな文体も現代風だ。

 松永久秀を隆慶一郎が書いたら、どんな人物描写になっていただろう。叶わぬことと知りつつ、興味が尽きない。

 

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髙久の代表的著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

●「美しい日本のことば」

今回は「月影(つきかげ)」を紹介。月の影であると同時に月の光でもある月影。とりわけ歌に詠まれる月影は、夜空からふりそそぐ月の光を言うのでしょう。続きは……。

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