死ぬまでに読むべき300冊の本
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紺碧の将

免疫学者が見た、生命の美しい秩序

file.067『からだの声をきく』多田富雄 平凡社

 

 タイトルだけ読めば、健康書の類と思う人も多いだろう。広い意味では健康書のひとつと言えなくもないが、この本は免疫学者による自然観、生命観を綴った文章をまとめたものである。本の帯に、次のような言葉がある。

 ――自然のルールは、例外なく美しい。生命の仕組みに美を発見した世界的免疫学者の思索

 

 著者の多田富雄は多才な人だった。免疫学者として世界的な権威があり、随筆家・詩人であると同時に、能楽にも精通しており、自ら鼓や面を打ち、能を創作した。科学者が芸術や宗教に惹かれていく例は少なくないが、多田富雄もそのひとりだったのだ。

 多田は生命とはなにかを問い続け、その先に自然のあり方を見、やがて命を表現するアプローチとしての能に行き着いた。文章においても手練で、よくある学者の無味乾燥な文章とはまったく異なる豊穣な世界を築いている。

「手の中の生と死」という、1ページだけの文章がある。要約すれば、手は人間らしい行為を作り出す部位だが、子宮の中で胎児が発生してくる第4週頃は小さな丸い隆起に過ぎない。それがやがて平べったいヘラ状になり、四条の凹みができる。凹みの部分は次々に死んでいき、みずかきのようなものが残るが、内部では小さな指の骨が生まれている。そして、みずかきの細胞がすべて死ぬことによってはじめて指の形が完成する。つまり、赤ちゃんの手ひとつとってみても、そこには完璧にプログラムされた生と死が精妙に関連し合っている。

 この短い文章は、胎児の手の成形過程に生と死の調和を見ているが、視点をマクロにしても理屈は同じことだ。天の川がくっきりと映る満天の星の写真を見たことがあるが、宇宙に存在する無数の星も消滅するものと新しく誕生するものとでバランスがとれているのだろう。人間社会もそうだ。永遠の生はなく、生と死はもともと同根一体だ。彼は免疫の仕組みを専門的に研究するうち、この世の完璧な秩序の一端を垣間見たのであろうことは想像に難くない。

「風邪の引き方講座」という文章は、免疫学者としての面目躍如である。

 ひとことで言えば、インフルエンザ・ウイルスと人体の攻防を劇的に描いたもの。要約すれば……、

 ウイルスが粘膜上皮細胞のグライコフォリンという受容体と結合し、細胞内に侵入する。そして細胞のDNA複製装置を利用して複製を開始する。すると人体はインターフェロンというウイルス抑制物質を合成して迎え撃つ。さらに、マクロファージや白血球、キラー(NK)細胞などが集まって感染した細胞を破壊する。感染した細胞が殺されたり貪食されるとウイルスも死滅する。この作戦が成功すれば、この段階でインフルエンザは治る。これが自然免疫である。しかし、自然免疫の働きは加齢とともに低下していく。すると、生き残ったウイルスは人体の細胞を殺しながら感染を広げていく。

 その後の攻防は、ウイルスと人体の免疫システムの総力戦である。人体側にはインターロイキン1やサイトカイキン、ヘルパーT細胞など新たな助っ人が登場し、ウイルスの増殖に抵抗する。やがて人体の免疫システムが勝てば、数日でウイルスは死滅するが、ウイルスが勝てば人体は生命活動の停止を余儀なくされる(=死亡)。

 この文章は、次のように締めくくられている。

 ――風邪薬も解毒剤も本質的には何の役にもたたない。ひたすら免疫系の発動を待ち、クラス・スイッチが起こるのを待つしかない。月並みながら、栄養と休養、保温と保湿に努め、約束をすべてキャンセルし精神と肉体の安定をはかることが第一、と免疫学者はおすすめする。

 

 多田は薬に頼るのではなく、自己の免疫力を上げることが肝要だと言っているのだ。そのためには、栄養と休養、保温と保湿が重要だと。私はそれらに加えてストレスの軽減をあげたいが、約束をすべてキャンセルするということは、そのままストレスの軽減につながるということでもあるのだろう。

 多田富雄は2010年に没しているが、現今の新型コロナウイルス禍に生きていたとしたら、われわれにどんなアドバイスをしてくれるだろう。

 

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髙久の代表的著作

●『葉っぱは見えるが根っこは見えない』

 

●「美しい日本のことば」

今回は、「夜振火」を紹介。夏の夜、川面に灯りをともすと光に吸いよせられるように魚が集まってきます。この灯火が「夜振火(よぶりび)」〜。続きは……。

https://www.umashi-bito.or.jp/column/

 

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