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紺碧の将

明治の英傑たちを見抜く、確かな人物鑑識眼

file.017『経営論語 渋沢流・仕事と生き方』渋沢栄一 由井常彦監修 ダイヤモンド社

 渋沢栄一といえば「日本資本主義の父」と崇められる存在。明治6年、第一国立銀行を設立したのをはじめ、500を超える会社の設立や経営に参画した。その範囲は、銀行、海運、紡績、製紙、製糖、肥料など多岐にわたっている。教育にも力を入れ、東京女学館、日本女子大を援助して校長になったほか、東京帝国大学、早稲田大学など40に近い大学に援助を行った。   

 その手法も独特だ。「右手に算盤、左手に論語」という言葉に象徴されるように、「論語」の教訓による経営を旨とした。その源泉は「真性の利殖は仁義道徳に基づかなければ決して永続するものではない」という考え方である。

 渋沢の創業には、ひとつの大前提がある。社会の要請に応じるということ。けっして、昨今見られるような「これが儲かりそうだ」とか「これが流行っている」などという理由で起業したことは一度もない。

 たとえば大蔵省在籍当時、租税の金納化を主張し、実現した。すると、納税者は生産物を市場で現金化する必要がある。運搬途中のリスクを回避する必要がある。そこで保険制度を整備するための事業を始めた。それが東京海上火災保険(現在)につながっている。

 渋沢は金銭欲も名誉欲もない人であった。経営が順調に進むのを見定めると、多くの場合、自分の持ち株を売却し、その資金を次の新しい企業の支援に充当させた。会社を自分のものとするという発想が薄く、国の近代化の推進者、あるいは支援者の役割に徹していた。

 また、任官の話をすべて断っている。名誉にもとんと興味がなかったのだろう。「日本資本主義の父」ではあるが、「資本家の代表」にはならなかった。

 本書の魅力は、孔子の教えを基とした経営の本質・要諦ばかりではない。第4章は「人物を見抜く基準」とタイトルがついているが、同時代に生きた、明治の英傑たちの人物評がそこかしこに表れ、それがじつに的を射ている。考えてみればそれも当然だろう。人物を見抜く眼力なくして、あれほど多くの会社を軌道に乗せることはできるはずもない。本書は「人物の見方」というテーマで読んだ方が面白いとさえ思う。

 

 リーダーとしてもっとも重要なことは「器ならず」であるという。器ならずとは、ある特定の役割に適している人間ではないという意味。つまり、常人には想像もできない、底知れぬ大きさを備えているということ。器ならずの人間として大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允のいわゆる維新三傑をあげている。

「器ならずとは、大久保利通公のごとき人を言う。私は大久保公にひどく嫌われ、私もまた大久保公をいつも厭な人だと思っていた。しかし、大久保公はどこが公の真相であるか、何を胸底に蔵しているか、不肖の私などには到底知ることができるものではなく、底がどれぐらいあるのか、まったく測ることのできない人であった」と書いている。互いに嫌いな人だと前置きしていながら、冷静に評価している。

 西郷に対してはかなり共感していた。「西郷隆盛公は親切で同情心があり、どうすれば他人の利益になるかと、そのことばかりに気を使っていた。はたから見ると、賢い達識の人であるか鈍い愚かな人であるか、はっきりわからない」と書いている。

 木戸孝允については「文学の趣味が深く、考えたり行動することが組織的であった」と書いている。

 勝海舟は「凡庸の器ではないが、三傑に比べれば、よほど器に近いところがあった」、江藤新平は「人に接すれば何よりもまず人の邪悪な点を看破することに努め、長所を見ることは後回しにしている」、三条実美に至っては「定見無き人」とバッサリ。大隈重信は「楽観的で人の意見を聞く」、伊藤博文は「議論をすれば必ず明敏かつ細かいところまで配慮の行き届いた論理と、その豊富な博引旁証とによって相手を叩きのめす」、西園寺公望は「勉強の足らぬ人。満身ことごとく芸に遊ぶ方ばかり」と容赦ない。

 次のくだりも印象的だ。

「大久保利通公、伊藤博文公、大隈重信公は『われ古を成さん』の意気込みで新しい時代をつくろうとした。地位に就けないからといって、じっとしているわけではない。徳川慶喜公、西郷隆盛公、西郷従道公は地位に就けなければ静かに暮らし、みずから行動しようとしなかった」

 明治の創生はどのラインによって成されたのか、明瞭にわかる一文であろう。

 その他、歯に衣着せぬ人物評が満載だ。

 

 渋沢は1931(昭和6)年、91歳で没した。ドラッカーは、「私は経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物の中で、かの偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界のだれよりも早く、経営の本質は責任にほかならないということを見抜いていた」と絶賛を惜しまない。

 現在、渋沢の経営観を引き継いでいる日本人経営者はどれくらいいるのだろう。そう考えると、暗澹とした気分になる。

 

 

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