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「一年めぐらないと確かではない」

file.176『木』幸田文 新潮社

 

 〝法隆寺の鬼〟と言われた故西岡常一の唯一の内弟子・小川三夫氏に取材したとき、小川さんは幸田文さんのことを語ってくれた。ここでは省くが、幸田文さんは法輪寺の再建にとてつもなく大きな役割を果たしたのだ。幸田文が露伴の娘ということは知っていたが、それほどまで木に愛着を寄せる幸田文とはいかなる人かと関心をもった。

 時を経て本書を読み、圧倒された。豊かで繊細な情感と遠近両用を使い分ける観察眼。そして感じたこと・思ったことを表現する力。そのいずれもがきわめて高いレベルで結実している。

 子供のような好奇心と桁外れの行動力に驚かされる。この本を書いたのは70を過ぎてからのはずだが、体の不自由さは少しも厭わない。彼女の情熱が周囲の人を動かし、彼女の願い通り、次々と樹木との邂逅を実現させる。

「えぞ松は一列一直線一文字に先祖の倒木のうえに育つ。どんなに知識のない人にも一目で、ああ倒木更新だとわかる」と聞いた幸田文は矢も盾もたまらず北海道富良野の東大演習林までへ会いに行く。縄文杉に会いたいと思えば、屋久島へ行く。自分の目で確かめなければ気がすまない質なのだ。

 木材にはアテというものがある。いわゆる材として〝使い物にならない木〟のことをいう。すると文さんは「そんなにけなしつけるとは、あんまりひどい。さんざ辛い目を我慢して頑張ってきたというのに、厄介者だの役立たずだのと、なぜそんな冷淡なことをいうんでしょう。木の身になってごらんなさい。恨めしくて、くやし涙がこぼれます」と言って悲しさでいっぱいになる。彼女は「木の生きていく苦しみと、人の生きていく苦しみとが、あまりにもよく似ているので、しきりに親身な感情が動いて」しまうのだ。

「藤」というエッセイのなかで、文さんは優秀な姉とわが身を比べている。

 ――出来のいい姉を、父は文句なくよろこんで、次々にもっと教えようとした。姉にはそれが理解できるらしかったが、私はそうはいかなかった。姉はいつも父と連れ立ち、妹はいつも置き去りにされ、でも仕方がないから、うしろから一人でついていく。嫉妬の淋しさがあった。一方はうまれつき聡いという恵まれた素質をもつ上に、教える人を喜ばせ、自分もたのしく和気あいあいのうちに進歩する。一方は鈍いという負い目をもつ上に、教える人をなげかせ、自分も楽しめず、ねたましさを味わう。

 そんな劣等感が、あたかも年輪の詰まった木のように幸田文という人物を逞しく、そして優しくしたのではないだろうか。

 終盤、本質を突いた一文に出くわした。

 ――生きつくしたものを身たら、生きているということが鮮明になった。

 生きつくしたものとは、伐採されて材になった木である。

 まさしく人間もそうであろう。ボロボロになるまで命を使い尽くすことが、次の命へのつながっていく。

 

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