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紺碧の将

「現代版嵐が丘」の狂おしい恋

file.157『本格小説』水村美苗 新潮社

 

 水村美苗のこの作品は、『私小説』以来、7年ぶりだった。

 大胆な名前である。長く日本の文壇において主流を占めてきた私小説という手法へのアンチテーゼであることは一目瞭然だが、読み始めて、おや?と思った。なぜなら、「本格小説の始まる前の長い長い話」という序章の語り手は水村美苗という名であり、これでは本格小説ではなく、私小説ではないの?と。

 読み進むうち、この長い序章が必然であることに気づかされる。日本においてはまったく虚構である小説は成立しがたい状況にあり、これくらい大上段に物語の導入部を設けなければ虚構の世界に誘えないのである。そのことを知悉している水村美苗は、それはそれは緻密に虚構の入口を作り上げてしまった。12歳から20年間をアメリカで過ごし、いやがおうでも日本語で書かれた小説の長短を意識せざるをえなかった背景と無関係ではあるまい。

 

『本格小説』は、「現代版嵐が丘」と表現されることが多い。貧しい家の出の東太郎と上流階級の令嬢宇田川よう子は、そのままヒースクリフとキャサリンの関係になぞらえられる。

 階級の違いという厳然と立ちはだかる壁を前にして自分の無力をさとった東太郎は、貨物船で渡米して大きな屋敷のお抱え運転手からスタートし、日本人の仲間から「ユダヤ人も顔負け」と揶揄されるくらい猛烈に仕事をし、やがて大富豪へと上りつめる。しかし、東太郎はある時、忽然と消える。これが長い長い序章である。

 その序章を受けて、本編が始まる。ある青年が軽井沢の別荘で偶然知り合った女中の語りによって、東太郎と宇田川よう子の激烈な恋愛が明かされる。まるで手を触れると火傷しそうなほど一途な思いを抱き続ける太郎とよう子の不可思議な行動。二人は周囲の人間を巻き込みながら、壮絶なフィナーレへと向かう。

 これほど読み終えるのが惜しいと思える小説は稀だ。なにが水村美苗をしてそこまでさせたのか。偶然読んだ新聞記事にヒントがあった。青山学院大学での講演を記録した記事だ。

 日本を離れて生活していた水村は、ずっと日本の近代文学に親しんで育ったのだが、帰国して感じたことは、日本語の崩壊であったというのだ。その失望感は生半可ではなく、それが大きな原動力になったという。

 現在、日本語の崩壊はこの当時と比べるべくもないだろう。

 

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