死の予感にある恍惚
自分らしくない選曲だと思っている。よりによって「死と乙女」だなんて。
私は死に取り憑かれているわけではないし、乙女にも惹かれない。しかも、この作品はとことん暗く、重苦しい。ただでさえシューベルトは陰鬱な作品が多いのに、この四重奏曲は4楽章すべてが短調で書かれている。
しかしながら、それだけでをもってこの作品を遠ざける理由にはならない。なぜなら、死を超越するほどに強靭な生命力を、ただのロリータ趣味ではない清冽さを感じさせてくれるからだ。
冒頭の力強く、重苦しい雰囲気は、ベートーヴェンの交響曲第5番の導入部を彷彿とさせる。目まぐるしく転調を繰り返しながら、鬼気迫ってくるのだ。聴く者は、ただならぬ空気におののき、そのあとを想像する。もちろん、明るい展開ではなさそうだ。
第2楽章は、この作品のタイトルの由来になっている歌曲「死と乙女」の主題を流用している。ひたひたと忍び寄る死の影におののく乙女を思い浮かべる。ここにいたって、この作品がただの〝ネクラな曲〟ではないことがわかる。深い悲しみを湛えたような調べは、人間の魂と向き合う作家の真摯な態度そのもの。ため息が漏れるほど、深い味わいがある。
一転して第3楽章は、ポジティブな舞曲風。とはいえ、短調の調べであることに変わりはなく、手放しの明るさはない。
救いは最終楽章。小さくスキップするようなリズムが印象深い。
この作品を書いた頃のシューベルトは、体力的な衰えによって自身の死をイメージしていたはず。それでも、自らを鼓舞するように死を肯定的にとらえようとしているのが伝わってくる。
名が知られているわりにこれまで馴染みが薄かった作曲家の典型がシューベルトであり、ショパンであった。特にシューベルトは、すぐれた歌曲が多い。まだ地中奥深くに眠っている貴金属のように、採掘し甲斐がありそうだ。もちろん、「死と乙女」が含まれる弦楽四重奏曲も宝の山だろう。
来年の今頃は、音楽好きの友人に「シューベルト、なかなかいいよ」と言っているような気がする。
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