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紺碧の将

近代治水土木の先駆け

2019.04.22

 もっとも好きな戦国武将は? と問われれば、武田信玄と答える。信長、秀吉、家康の功績が飛び抜けて大きいことに異論はないが、人物として惹かれるのは信玄だ。

 歴史好きの友人と「信玄と謙信、どっちがいい?」というテーマになると、必ず意見が分かれる。謙信は情の人。日本人の心の琴線に触れるのはわかるが、一方で〝正義の人〟は嘘くさいとも思う。その点、信玄はリアリスト。私の心の琴線に触れる。

 信玄は『ゴッド・ファーザー』のアル・パチーノにかぶる。父親を駿河に追放し、長男を幽閉させて死に至らしめるなど、身内には厳しい措置をする一方、「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵なり」と言って家臣を正当に評価し、武田二十四将と称される家臣団を形成させた。戦国武将も現代の会社経営も、どうしても身びいきになりがちだが、信玄は組織が栄えることを優先し、決断した。そして領国経営に尽力しながら、「風林火山」を旗印に戦国最強軍団の名をほしいままにした。

 拠点の甲斐は領地の多くが山岳。コメづくりに適さない領地のハンディを克服するため、産業育成に務めた。武将でありながら政治家としても能力を発揮したという点では、信長や家康と比肩する。そんな信玄の足跡をたどった。

 甲斐市竜王に信玄堤の痕跡が残っている。近代治水土木の先駆けと位置づけられた、貴重な遺跡である。甲斐の国は周りを高い山々に囲まれた盆地である。ただでさえ平野部が少ないのに、大雨が降ると急峻な山から鉄砲水が盆地に押し寄せ、ことごとく農地を水浸しにした。水は「天下の至柔にして天下の至堅を馳騁(ちてい)す。無有にして無間に入る」(「老子」第四十三)というほど、生き物に益することもあれば害も与える。長年、水害に苦しめられた領民を救うため、1542年、信玄は本格的に治水工事に着手する。

 もっとも水害の多い地域は、釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)が合流するところ。まず御勅使川の流れをふたつに分け、その一方の先に大きな岩盤で高台を据える。そこに水の流れをぶつけ、勢いを削ぎながら流れを変える。さらに、ふたつの川の合流点に堤防を築き、河岸に大きな岩を配置して水の勢いを弱めながら流れの方向を変える。堤防の上には竹やケヤキなど、根の深い樹木を植えて水防林をつくった。根が地中深く張ることによって地固めができると知っていたのだ(参考資料『甲斐・武田信玄』武田神社刊)。

 一連の工事が完了するのに15年の歳月を要している。

 現在、釜無川の堤防の上には当時、信玄が植林したケヤキなどの一部が残っていて、信玄堤公園となっている。歩くだけで心身に気が充填されるような、心地よい散策路である。郷土の偉人の功績を伝えながら、住民の憩いの場をつくる。今後、ますますこういうことが求められるのだと思う。

 信玄堤の跡地に立ち、前方に聳える南アルプスを見上げた。400数十年前、同じ場所で同じ山々を信玄が眺めていたのだと思うと、妙な感懐が湧き起こった。

 

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(190422 第894回 写真上は信玄堤公園。下は当地にある説明板)

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