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西郷と生々流転

2016.05.19

西郷の洞窟 その日、西郷隆盛は洞窟にいた。

 西南戦争は薩軍に対する新政府軍の総攻撃をもって終わったが、最後の激戦地となった城山の中腹にその洞窟はある。いつでも死ねる覚悟があった西郷だが、その日ははっきりと死を決意していたことだろう。
 それにしても不思議な人生だ。島津斉彬に人物を見込まれるが、そのまますんなりと立身出世することはなく、錦江湾で入水自殺をはかったり、2度の遠島に遭ったり……。島から復帰した後は多くの志士たちの信頼を一身に集めて維新をなし遂げたが、上野戦争以後は積極的に政府に関わることはなくなる。征韓論争を経て鹿児島に下野し、いっさいを語らず狩猟ざんまいの日々を送った。その後、私学校生の暴発から城山での自決に至るまで、その一生はまさに生々流転そのものだ。
「晋どん、もうここらでよか」
西郷終焉の地 洞窟を出て、銃弾が飛び交うなか坂道を約300メートル下ったあたりで腰と大腿部に被弾した時、西郷は別府晋介にそう言ったという。
 東を向いて頭を垂れ、明治天皇に別れを告げた後、自刃した。明治10年9月24日のこと。享年49歳だ。
 政府軍の総司令官・山県有朋は「翁はまことの天下の豪傑だった。残念なのは、翁をここまで追い込んだ時の流れだ」と語り、ずっと黙祷したという。
 人が生まれ、成長し、なにごとかをなした後、死ぬ。これは万人にとって、万古不易の真理だ。この世に生まれてきたことも奇跡なら、「どのようなことをなす」のか、その連なりも奇跡の連続だといっていい。
 西郷は洞窟の中で自らの人生を振り返り、どういう心境だったろうか、そう考えながら坂道を歩いた。
 歴史の痕跡がきちんと残されている鹿児島市を歩くのは、じつに興味深い。
(160519 第637回 写真上は西郷が隠れていた洞窟、下は西郷終焉の地)

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Profile

髙久多美男

髙久多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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