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自分を見つめる、もう一人の自分

2012.05.24

 「古典をわかりやすく面白く すらすら読めるシリーズ」という本がある。出版社はあえて出さない(ヒントは、『週刊現代』や『フライデー』を出しているところ。※創業者が天国で泣いている)。

 田口先生の講義がきっかけで世阿弥に興味をもち、まずは入門書から読んでみようと、この本を購入した。

 『風姿花伝』は、自らが率いる一座の行く末を危惧し、能の奥義を伝書という形で著したものだが、教育書としてじつに理にかなっている。

 世阿弥ほど悲喜こもごも、運気が乱高下した人も珍しいだろう。絶世の美貌と早熟の才能に恵まれ、早22歳で父・観阿弥が遺した一座を率いる運命になり、足利将軍の庇護を受けて一世を風靡したものの、晩年は後ろ盾を失い、佐渡へ島流しに。どのような最期を遂げたかさえわからないほど、終幕は散々だった。

 

 『風姿花伝』の内容は、人間の本質を知り尽くした、深い洞察によるものばかりで、教育書ばかりではなく兵法書にも哲学書にもなりえる。

 例えば、こういうくだりがある。

──憤怒の姿を演じるときには、内面にやわらいだ心を忘れてはいけない。どれほど怒り狂っても、その芸が粗野にならないためである。また、幽玄なものの写実においては心のなかに強さを忘れてはいけない。とにかく、相反する心を内面に温めておくことは、ひとつところに安住し停滞しないための用意である。(現代語訳・一部抜粋)

 スゴイ! のひとことである。

 「目前心後」とも「離見の見」とも言った。つまり、演じている自分を冷静に見つめる自分を心のなかにもつということ。

 「秘すれば花」とも言った。自分が知っているということを知られてはいけない、とも。そう考えれば、知識の押し売りがいかに価値のないものか、わかる。

 それにしても、世阿弥がいうところの「花」とはいったい何か? こんなことを考えるのがまた楽しい。

 国立能楽堂が近くにあることだし、来月は時間を見つけて能の鑑賞をしようと思っている。

(120524 第342回 写真は『すらすら読める風姿花伝』)

Profile

高久多美男

高久 多美男

(撮影:森 日出夫)

●1959年生まれ

●1987年、広告の企画・制作を営む株式会社コンパス・ポイントを設立

●2009年、『Japanist』を編集・発行するジャパニスト株式会社を設立(2019年1月、刊行終了)

●「遊び、学び、仕事は皆同じ」がモットー。すべからく本質を求める

■本は永遠の師匠

19世紀フランス文学から20世紀アメリカ文学、さらには現代日本文学。歴史(特に日本近代史)、あらゆる生活・芸術分野から政治・経済の分野まで、本には強いな愛着を示す

■No Music, No Life

あらゆるクラシック音楽と1950年代以降のジャズ、R&B、60年代以降のロック、ワールドミュージックなど、とにかく雑食

■生涯、美を求めたい

桃山から江戸にかけての日本美術、岡倉天心一派以降の近代絵画を特に好む。ヨーロッパの近代絵画など、こちらも雑食

■敬愛する歴史上の人物

尊敬する人物は大久保利通。ほかに幕末から明治にかけて活躍した男たち。戦国武将では武田信玄、戦後の政治家では岸信介

■思索の遊び

禅、儒学、老荘思想、マキャヴェリズムを組み合わせながら、独自の思想を構築中

■いやなもの

共産主義や日教組などの極端な左翼思想(極端な右翼も嫌い)、地球市民幻想、新興宗教

■その他

日常的に走る他、毎年夏、山に登る。体型はずっと変わらず。便利なことよりも美しさに価値を見いだす

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