メンターとしての中国古典
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有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり

2020.06.24

無用の用

 

 この言葉は、「無用の用」として有名な老子の一節です。

 その意味は、役にたたない実用性のないようにみえるものに、実は真の有益な働きがある。あるいは、役に立たないとされているものが、かえって非常に大切な役をするということです。

 

 老子の本文は以下の通りです。

 ――三十の輻(ふく)、一つの轂(こく)を共にす。その無に当たりて、車の用あり。埴(つち)を埏(こ)ねて以(も)って器を為(つく)る。その無に当たりて、器の用あり。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて以って室(しつ)を為る。その無に当たりて、室の用あり。故(ゆえ)に有の以って利を為すは、無の以って用を為せばなり。

 

 その意味は、

 車輪というものは三十本の輻(や:スポーク部)が真ん中の轂(こしき:軸部)に集まってできている。その轂に車軸を通す穴があいているからこそ車輪としての用をなすのだ。器を作るときには粘土をこねて作る。その器に何もない空間があってこそ器としての用をなすのだ。戸や窓をくりぬいて家はできている。その家の何もない空間こそが家としての用をなしているのだ。何かが「有る」ということで利益が得られるのは、「無い」ということが影でその効用を発揮しているからなのだ。

 

 つまり、「無用の用」とは、一方的な見方から脱却して、逆から見たり多面的な見方をすることで、物事の本質や新たな価値を見出そうというのです。

 

「無い」の効用

 

 我々の日常には、「無い」がたくさんあります。無いのは良くないことと思いますが、実はさまざまな効用があります。例えば、お金がないと、お金を大事にして知恵が出ます。時間がないとやるべきことを優先順位づけして取捨選択、集中力が高まります。「調子が出ない」つまりスランプ。スポーツでも仕事でも、努力しているのに結果が出ない時にスランプに陥ったと言います。それは今までのやり方の限界を教えてくれていたり、次の階段に向かう踊り場で方向転換の時とも言えます。また努力と結果の間にはタイムラグがあって、継続力や忍耐力を問われているとも言えます。また、周りの人のサポートのありがた味を再認識し謙虚さを取り戻す機会となります。

 また、不況で景気が悪くなり業績不振に陥ると、多くの人は大変だ!と言いますが、さまざまな効用があります。例えば、経費を見直し無駄な仕事や経費をカットする(社員も給与が減ると生活の見直しも行う)。お客様へのサービスのあり方を見直し、新しい製品やサービスを開発する。新しいお客様を探す。事業の再構築や人事の刷新など思い切った経営改革の背中を押す効果があります。

 

懐が深い会社

 

 私がまだ30代後半の頃、ある巨大企業の社内ベンチャーの支援を担当しました。大企業病に侵された保守的な組織を活性化させようということで、事務局の方がリスク覚悟で私のような名もなきコンサルタントを指名してくださいました。私の役割は社内ベンチャー制度の設計から、実際の社内起業家の発掘、育成、投資、事業化のフォローアップです。社内起業を考えている人や何かアイデアを持った人を募集すると、全国で数百人の方が手を上げ、休日の勉強会に参加されました。その中から選ばれた約10名の人たちは日常業務を離れ、起業に向けて取り組みを開始しました。その時感じたのは、「この人たちは今まで日常業務とは関係ないとことに頭をたくさん使っていたんだな。この会社はこんな優秀な人に、すぐ利益につながらないことを自由にやらせるなんて懐が深いな」ということです。つまり、一見遊んでいるように見える人が、組織を活性化させたり、新しい事業の芽を育てる効用を期待していたのでしょう。

 

無分別

 

 老子は「無用の用」で、有用とか無用とか、決めつけるな! 見方を変えろ! と私たちに示唆しています。

 また、老子は「無分別」を説き、禅にもその思想が受け継がれています。では、老子から無分別に関するところを読んでみましょう。

 

――天下みな美の美たるを知るも、これ悪のみ。みな善の善たるを知るも、これ不善(ふぜん)のみ。故(まこと)に有と無相(あい)生じ、難と易相成り、長と短相形(あらわ)れ、高と下相傾き、音と声相和し、前と後相随(したが)う。ここを以(も)って聖人は、無為の事に処(お)り、不言(ふげん)の教えを行なう。万物ここに作(おこ)るも而(しか)も辞(ことば)せず、生じるも而も有とせず、為すも而も恃(たの)まず、功成るも而も居(お)らず。夫(そ)れ唯(た)だ居らず、ここを以って去らず。

 

 その意味は、

 世の人々は皆美しいものを美しいと感じるが、これは醜いことなのだ。同様に善いことを善いと思うが、これは善くないことなのだ。なぜならば有と無、難しいと易しい、長いと短い、高いと低い、これらはすべて相対的な概念で、音と声も互いに調和し、前と後もお互いがあってはじめて存在できるからだ。だから「道(タオ・万物の創造主)」を知った聖人は人為的にこれらを区別せず、言葉にできない教えを実行する。この世の出来事をいちいち説明せず、何かを生み出しても自分の物とせず、何かを成してもそれに頼らず、成功してもそこに留まらない。そうやってこだわりを捨てるからこそ、それらが離れることはないのだ。

 

 つまり、比較して二者択一するようなことはやめなさい。違うものを対立させるのではなく互いに補完することを考えなさい。そして既成概念にもこだわるなというのです。

 

陰陽で考える習慣づけ

 

 我々はすぐに良いとか悪いとか、成功か失敗か、損か得か、正解か間違か、敵か味方か、など二元論で考えがちです。しかし、視点の置き場所を変えればどうにでも解釈できます。ここでオススメの思考方法は物事を陰と陽で考えるということ、つまり陰陽論です。男と女、昼と夜、晴と雨、登り坂と下り坂、これらのどちらが良いとか悪いとかはなく、特性の違うものが表裏一体で世の中は成り立っています。陰陽で考えることを習慣づけると、常に物事の二面性を持って捉えることができ、偏った思考からバランスの良い思考へと転換していけます。そうすると「無用の用」「無分別」が自然と身について行きます。

 

器を空っぽにする

 

 教養が深いことで有名な出口治明氏(ライフネット生命保険株式会社創業者。現在は立命館アジア太平洋大学学長)は、著書の中でこんなことを書かれています。「リーダーには器の大きさが求められる。しかし、人間の器は生まれつき決まっていて大きくはならない。しかし、器の中を空っぽにすれば器の容量は大きくなる」と。つまり、無や空が人間の容量を大きくしてくれるというのです。

 禅仏教では「無」や「空」などが解かれていますが、何ものにも囚われず目の前のことに没頭し集中力が高まった無心の状態、頭や心の中が真空の状態が最高の状態と言うのです。そして、秩序が破壊された混沌(カオス)の状態から新たなものが創造されるのです。

 

危機を活かす

 

 現在のコロナ禍は不要なものです。しかし、避けられないとすれば、この危機をどう活かすかが肝要です。危機とは危険と機会が一体となったものと読めます。かつて第二次大戦の終戦後、高速道路や新幹線が開通し、日本の社会インフラのレベルが上がりました。阪神淡路大震災では携帯電話が一気に普及し、東日本大震災ではSNSが一気に広がりました。また、今回のコロナ禍では、テレワークが普及しつつあります。そして政府や行政のIT化が進むでしょう。正しく、これは「無用の用」、これまでそんなに重要だとは思われなかったものの価値が見出されているということです。

 我々も「無用の用」を頭に置いて、時代を認識し他とは違う新しい価値を創造して行くべき時がきたことを肝に命じなければなりません。

 

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Profile

三村 邦久

三村 邦久

1961年、兵庫県生まれ。

株式会社アイパートナー代表。中小企業診断士。著書に『「愚直経営」で勝つ!』(PHP研究所)、『豊かな働き方 貧しい働き方 自分と組織のマネジメント論』『うーにゃん先生の持ち味コーチング』(いずれもフーガブックス)。

株式会社アイパートナーHP

http://www.i-partner.co.jp

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