あいつらは、じっとしてるだけのように見えるが、ちゃんと痛みも苦しみも感じているんだ
「どうして分かるんです、そんなことが?」
わたしは意地わるく聞いてみた。
おじいさんは当たり前のように言った。
「よく見ていりゃ分かるんだ。たいがいの人間は、じっくり眺めることをしねえから、あいつらの気持ちが通じねえんだよ」
昨年11月に他界した作家、内海隆一郎氏の著書『木に挨拶をする』の中の「樹木談義」から抜粋した。サブタイトルに「私本・聴き耳頭巾」とあり、自然の不思議な力や人間の秘められた能力をもとにして書かれたノンフクション短編集である。
「そもそも動物と植物なんていう区分けをしたのは、人間だろ。人間の側から考えて、勝手にそういう区別をつけたわけだろう? 偉い学者さんかなんか知らねえが、神さまじゃねえだろ」
市の公園拡張のために伐り倒された数十本のイチョウの切り株を見て、畳屋のおじいさんは我がことのように憤慨する。
いつの時代も、人間の行状には目に余るものがある。
もの言わぬ生きものに心がないと、誰が言えるだろうか。
1960年代後半、ポリグラフ(嘘発見器)の第一人者であるクリーヴ・バクスター氏は、植物が周囲の人間の意図や感情に反応することを発見し、世界中にセンセーションを巻き起こした。
植物は、自分を傷つけた人間の識別ができることを証明したのだ。彼らは、つねに人間やあらゆる生きものを観察している。そして、共存共栄ができる相手か否かを見きわめているのだ。最初に地上に生きたものとしての使命を果たすかのように。
「人間は、せいぜい生きても100年だろ。……たいがいの動物だともっと短けえよな。だが、樹木はどうだ? 200年も300年も生きてる。なかには千年も生きてるやつまでいるじゃねえか。長げえんだよ、その、なんていううか」
「サイクルがですね」
「ああ、そいつが人間の何倍も長げえのさ」
「だから、反応もゆっくりしているわけですか」
そう。樹木は長い時間をかけて、この世界を眺めている。人間の一生など、とうてい及ばないほど長く、長く……。
生きる喜びがある一方で、想像を絶するほどの哀しみや苦しみを味わってきたことだろう。
(160111 第155回)
最後に、
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