文字の力を信じたい。
時代小説SHOW 管理人理流さん
2025.12.15

自ら作成したサイト「時代小説SHOW」で、約30年間に4,000冊もの時代小説を紹介。現在の活動は作家への〝推し活〟と言う理流さんは充実したセカンドステージを謳歌しています。
時代の流れに乗って時代小説専門のサイトを作成
理流さんとのこ゚縁は、「時代小説SHOW」で拙著『紺碧の将』をご紹介していただいたことがきっかけでした。詳細にまとめていただき、大変感謝しております。たしか、理流さんは新潟県のお生まれでしたね。
はい。1961年、新潟県見附市に生まれました。南北に長い新潟県のちょうど真ん中に位置し、織物・ニットと米作りが盛んな小さな市です。
理流とはペンネームあるいはハンドルネームとお察ししますが、名前の由来はなんですか。
新選組の剣術である天然理心流から取りました。ただ、新選組に特別な思い入れがあるというわけではないのですが(笑)。
時代小説を専門としたサイトの管理人としてはピッタリのお名前ですね。理流さんはどんな子供だったのですか。
友達と外で遊ぶより一人でいるのが好きな子供でしたね。運動もあまり得意ではありませんでしたし、本を読むのは当時から好きでした。親から見ると、あまり手のかからない子供だったと思います。
そのような子供が大きくなると理流さんのような人になるというのは腑に落ちます。
当時、プロ野球を見るのも好きで、選手の名前を覚えているうち、漢字に興味を抱きました。人の名前(姓)って独特の字や読み方がありますよね。
ありますね。私も子供の頃、プロ野球の選手や監督の名前を覚えました。ところで学生時代、将来こうなりたいという夢はありましたか。
特になかったですね。なんとなく出版社に勤められたらいいなという程度で、モラトリアムといいますか、できるだけ決定を先延ばししようとしていました。大学で選んだ学部も実業系ではなく、演劇専修(早稲田大学の第二文学部)でしたし。
卒業後はどんな進路を選んだのですか。
僕は田舎の濃密な人間関係にはあまり馴染めず、東京で生活したいと考えていました。選んだのは流通系の会社でした。たまたま時間が空いたときに面接を受けに行ったら、その場で内定が出ました。実にいいかげんな形で就職を決めたわけです(笑)。
その会社ではどんなお仕事をされたのですか。
当初は海外から食品の仕入れをする業務に就いていたのですが、半年くらいで外食に参入することになり、焼肉レストランを任されることになったんです。
入社間もない若者がいきなり、しかも経験もないのに……。
焼肉は調理の経験がなくても比較的容易に提供できると考えていたようです。その頃は、売上が悪くて毎日店を閉めてからその日の売上を社長に報告するのがつらかったですね。結局、すぐに店を畳むことになりました。
外食が脚光を浴びていた時代だったと思いますが、それにしても安易な経営判断ですね。それからどうされたのですか。
新しいことができそうと思い、なんとなく入った会社だったので辞めました。その頃、海外で英語を学びたいと思っていて、まずは情報集めと資金づくりをしようと、ある語学系の出版社でアルバイトを始めました。
そこではどんな仕事をされていたのですか。
大学生協などを回って、英語の通信講座の営業をしていました。2年目から正社員になり、新聞に掲載する自社商品の原稿づくりを担当していました。はじめに就いた流通系の仕事と比べ、なんとなくこういう業界の方が自分に合っているという実感がありました。ただ、当時は長時間労働のうえ、自分がつくった広告原稿の成果が翌週には数字に表れましたから、しんどかったですね。やがてインターネットが普及するに伴い、会社が「インターネットを使ってビジネスをできないか」と模索を始め、インターネット事業部を創設したのです。
私も理流さんとほぼ同じ年代ですから、その流れはよくわかります。
そこでインターネットの勉強を始め、「自分でホームページをつくる」というワークショップを始めたのですが、じゃあ自分でもホームページをつくってみようと。
それが、やがて「時代小説SHOW」へとつながっていくのですね。
いいえ、それがそのまま「時代小説SHOW」の始まりとなりました。1996年のことです。
約30年間で4,000冊を紹介
SHOWというネーミングの由来を教えてください。
私は競馬も好きで、その当時、「スリルショー」という、あまり大成しなかった種牡馬の子がデビューした頃だったんです。
種牡馬とはなんですか。
サラブレッドの父親といいますか、いわゆる種馬ですね。スリルショーという名前から拝借しようと思っていたのですが、スリルショーの子供に「ショー・マスト・ゴー・オン」(Show Must Go On)という馬がいて「ショー」にしようと思ったのです。
どうして時代小説専門のサイトだったのですか。
時代小説が好きだったということもありますが、そのジャンルの専門のサイトがなかったというのが一番の理由ですね。
1996年スタートということは、ほぼ30年ですね。会社勤めをしながら「時代小説SHOW」を管理・運営するというのはなかなか大変だったと思いますが、これまでに何冊くらい、時代小説を紹介されているのですか。
4,000冊弱というところでしょうか。ページ数にして7,000ページくらいです。
そんなに! それはすごい数ですね。
読書録という位置づけで気楽に始めたのですが、そのうちのめり込んできました。
それまでにたくさんの時代・歴史小説を読んでいたんですか。
そうでもないですね。読み始めたのが30歳を過ぎた頃、ちょうどその少し前くらいから仕事でストレスを抱えることが多く、それを発散する場にもなっていたと思います。池波正太郎や藤沢周平などの作品世界は現在とはまるで違っていて、仕事やストレスから逃避できる癒やしの空間で、ストレス解消にもなりました。
仕事の方はずっと同じ会社だったのですか。
そうです、部署はいろいろ変わり、営業から広告制作、IT系、マーケティング、編集、カスタマーサービスなどさまざまな業務を担当しました。ただ、60歳を迎える頃、これからは趣味の延長のような仕事をしたいと考えました。
好きな時代小説を紹介するのは推し活と同じ
会社はいつ退職されたのですか。
2024年の6月です。読みたい時代小説を読む時間、書評を書く時間が確保しづらくなったのが理由でした。退職した後、3ヶ月間、ハローワークの職業訓練で生成AIのChatGPTについて学びました。
3ヶ月程度でマスターできるものなんですか。
進化が速いので継続は必要ですが、基本は十分マスターできますよ。そのおかげで最近、『小説を書く人のChatGPT活用入門』と『小説を書く人のためのKindle出版入門』という本を書きました。
私にはまるでわからない世界です。
ChatGPTはあくまでも道具ですから、うまく使えば、その分、クリエイティブなことに専念できるというメリットがあります。要は、丸投げをしないでうまく使いこなせばいいのだと思います。
理流さんは理数系の人でもあったのですね。
学生の頃から数学は好きでしたね。ただ、理科がまったくダメでしたから、理数系の大学には入れませんでした。
退職した後、生活は変わりましたか。
変わりましたね。ただ小説を読んで紹介文を書くだけじゃなくて、出版社のパーティーやトークショー、サイン会など、いろいろな場に積極的に顔を出すようにしました。それに伴って、出版社の人や作家さんに会う機会が増えました。
理流さんは「日本歴史時代作家協会」の理事でもありますね。
3年ほど前に、会の事務局長さんから、会が主催する文学賞の選考委員になってほしいと依頼がきたんです。それをお受けして活動をするうち、理事になってしまったという感じです。その会には作家の他、文芸評論家や書評家も所属しているのですが、その人たちの中には立場上、作家との距離を適度に保っています。でも、私はそうする必要がありませんから、作家さんとも親しく交わることができています。
現在、1日のうち、どれくらいを「時代小説SHOW」に費やしていますか。
食べてお風呂に入って寝て、といったもの以外はすべてといっていいですね(笑)。朝9時から夕方6時くらいまでパソコンに向かっていますし、それ以外の時間も時代小説を読んでいます。出版社から送られてくる本もかなりあります。頑張って読んでも月に20冊くらいですから、「読まなければ」というプレッシャーは常にあります(笑)。
嬉しいプレッシャーですね。
そうですね。私は今の自分の活動は、推し活の一種だと思っています。大御所の作家は黙っていても固定ファンが本を買いますが、まだ名前の知られていない新進作家はそういうわけにはいきません。口幅ったいですが、「時代小説SHOW」で紹介することで、少しでも作家たちの背中を押すことにつながるのであれば、とても嬉しいですね。
新進作家が望むことはそれでしょうね。
それに、今の歴史時代小説ファンは年齢層が高いんです。このままですと右肩下がりが続き、このジャンルが沈滞してしまいます。そうならないよう、若い人や新しい書き手を応援したいですね。
今、推しの作家はいますか。
たくさんいますが、例えば高野知宙さんとか米原信さんとか。どちらも大学生です。
今後、取り組みたいことはありますか。
もっと多くの作品を紹介できるよう、字数の少ない、簡単なコーナーを設けたいと思っていて、そのテンプレートを制作中です。それから日本歴史時代作家協会の方では、作品を出したい人に向けてプロデュースをしたり、電子書籍で発行するなどの支援をしたいと考えています。
ずっと本の売上が減り続けていますが、今後はどのように展望されていますか。
たしかに出版不況なのでしょうが、一方で本を書きたい人、出したい人は増えていると感じています。先日も東京ビッグサイトで「文学フリマ」というイベントがあり、協会としてもブースを出したのですが、約18,000人の来場者があり、ブースの数は3,500もありました。それだけ多くの人が集まったというのは、時代の変化の表れでもあると思います。ライトノベル、ライト文芸、異世界ものなど、文学の敷居が低くなっていることは事実ですね。それらの入口から新たな読者が増えるのではないかと期待しています。やはり、文字の力を信じたいですし。
これからの人生、ますます楽しくなりそうですね。
そうですね。家族の理解があって、少し早めに退職でき、好きなことに専念できる環境にいるので、歴史時代小説界になんらかの良い影響を与えられるよう、この活動を継続したいと思います。
(取材・文/髙久多樂)
(写真上から/時代小説おすすめサイト「時代小説SHOW」、第14回日本歴史時代作家協会賞受賞者トーク&サイン会で司会を務める(紀伊國屋書店にて)、『小説を書く人のChatGPT活用入門』と『小説を書く人のKindle出版入門』、前職の出版社で同僚たちと(前列右から3人目がインタビューイー。2008年4月頃)、総来場者数18,971人の「文学フリマ東京41」(2025年11月23日))















