多樂スパイス
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What's TarakuSpice?

自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

2016年はいい意味での「陰の年」
2016.12.30
 毎年末、一年をふり返り、個人的な10大ニュースを決めている。 今年はひとことで言えば、いい意味での「陰の年」だった。  朝がきて夜がくるように、四季が巡るように、あるいは好調と不調の波があるように、森羅万象は陰陽の繰り返しだ。ずっと陽ということも、ずっと陰ということもない。松下幸之助が「好況よし、不況さらによし」と言ったが、けだし名言であろう。好況の時には気づかないことを、不況の時に気づかせてくれることはよくある。  では、なぜ、いい意味での陰の年だったか。ひとつは、自分の肉体の限界を知ったこと。10キロ走で40分を切ることを目標にハードな練習を続けたが、1月の大会で夢破れた。考えてみれば、20年前でさえ40分12秒だったのだ。あれから体力は衰え、髭に白いものが混じり、…続きを読む
 
人生とは、自分の扉を開けること
2016.12.24
 今年の9月下旬以来、書き進めてきた『扉を開けろ 小西忠禮の突破力』(弊社刊)が年末に完成する。 この本の企画は、点と点が重なるような偶然がつながって、形になった。もとはといえば、私が13年前に書いた『魂の伝承—アラン・シャペルの弟子たち』を読んだS氏が、本の中に知人の名があることに気づき、ひさしぶりにその人を訪ねたことがきっかけとなった。  その人とは、本書の主人公、小西忠禮氏である。彼は、神戸に〈アラン・シャペル〉ができる3年前からアラン・シャペル付きのスタッフとして神戸ポートピアホテルに籍を置き、オープン後も統括総料理長としてシャペルを支えた人物である。  S氏の引き合わせで、今年の8月下旬、福井県敦賀市で小西氏と会い、数分とたたずに意気投合した。9月中旬に神戸で最…続きを読む
 
ときどき無性に食べたくなる陳麻婆豆腐
2016.12.20
 前々掲、『扉を開けろ』の最後に、私なりのフランス料理文化論のようなものを書いたのだが、その中で「世界の料理の中で、日本料理とフランス料理が双璧だと思う」という記述がある。あくまでも私の主観だが、さまざまな要素を考慮しても、その結論は変わりそうもない。 そう聞くと、「中華料理はどうなんだ?」と言う人もいるだろう。  私は中華料理をあまり食べないが、もともと嫌いな食べ物はない。出されれば、喜んで食べる(ただし、添加物がたくさん混じったまがいものは別)。なんで中華にそそられないかと言えば、まずあの見た目である。茶色い物がゴチャ混ぜになっていて、どこから見ても美しくない。まあ、あの混沌がいいのだと言われればそれまでだが。  コースで食べると、味に変化がなく、一本調子に感じる。丸…続きを読む
 
「眠り」という名の修復士
2016.12.16
 眠りとはなんだろう。なんのためにするんだろう。 若い頃は、眠ることがもったいないと思っていた。「死んでいる」ような時間をもっと短くできないものかと。 しかし、今はちがう。いい眠りは、いい人生の必須条件だと思っている。逆もまた真なり。いい眠りのない、いい人生はない。 巷では「理想的な睡眠時間は○時間」と喧伝されているが、そういう情報の大半は空虚である。人によって、適切な睡眠時間は大きく異なるのだ。前項『扉を開けろ』の主人公・小西忠禮氏は3時間も眠れば、再びブルドーザーのように仕事を続けることができたが、私は8時間くらい眠らないとダメだ。さらに30分の昼寝もする。これだけを比べたら、両人の間にとほうもない差があるが(もちろん、私が怠け者)、私は私なりに理に適った睡眠をとって…続きを読む
 
海の向こうにはなにがある?
2016.12.10
 帰りの切符を持たず、宿も職も決まっていない若者が、わずかばかりの現金を握りしめてフランスへ渡り、「リッツで働く」という夢を実現し、その後、超一流のレストランで修業。60歳を機に料理人人生にピリオドを打ち、今は子どもたちのために神戸で幼稚園経営をしているという人を描いた『扉を開けろ』がようやく脱稿となった。 まだ1ドル360円の時代、海外へ行くこと自体、きわめて困難だった。そんな時代に、片道の料金が給料の丸々2年分もする船に乗って大海原を進んで行った時、彼はどんな心境だったのだろうと、書きながら何度も思った。右上写真は横浜港に繋留されている「氷川丸」だが、彼が乗り込んだ船は「ラオス号」という名の貨客船だった。船底近くにある3等室はまったく日もささず、10ワットほどの薄暗い…続きを読む
 
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