日本人として覚えておきたい ちからのある言葉【格言集・名言集】
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格言集

偉人たちの言葉には、いつの時代にも通用するメッセージがこめられています。

それぞれの時代を懸命に生き、一事をなした彼らの一言だからこそ、今もなお私たちの心を揺さぶり続けるのです。

この格言集は、古今東西の格言・名言をご紹介する不定期コラム。

みなさんの“心の栄養”として、時折ご覧いただければ幸いです。

 

こけたら 立ちなはれ
松下幸之助

 松下幸之助翁の言葉を取り上げたのはこれで何度目だろうか。いっそ、講演録なるものをそっくりそのまま紹介したほうがいいのではないかと思うほど、存在そのものが字引のようである。

 ちょっとした言葉にも、幸之助翁らしい優しさが感じられてほっとする。

 

 転んだら立ちあがる。
 体の運動機能が正常であれば、誰でもできることだ。
 動作としては。
 しかし、行動では?
 それがなかなかおいそれとはできないから行き詰まることもあるのだろう。
 
「ごちゃごちゃ言わんと、こけたら立ちなはれ。こけたままやったら、車にひかれて死んでまうで」
 と、言ったかどうかはわからない。
  わからないが、こけたままでは野垂れ死ぬだけだというのはわかる。

 

「こけたら立ちなはれ」
 ときには、こんな簡単な言葉で救われることもあるのではないだろうか。
(20170220 第286回)

 
心も身体も道具である
中村天風

 日本初のヨーガ行者、中村天風。心身統一法を世に知らしめた人物である。

 以前にも本欄で紹介したことがあるが、天風語録を集めた著書も数多く出ているから、その名を見聞きしたことがある人も多いだろう。

 

 身体が道具というのは、なんとなくわかる気がする。

 目に見える物体だから。

 しかし、心は?

 道具と思ったことは…正直、なかった。

 

 よくよく考えてみれば、なるほど、心というのは道具にちがいない。

 コロコロと移り変わる心を扱うのは自分の力量。

 上手く使いこなせれば、道具は用途以上の働きをすることがある。

 

 道具の扱いは、プロの職人に学べばいい。

 ピカピカに磨かれた道具は経年を感じさせない。

「どうぞいつでも使ってください」と言わんばかりの堂々たる風姿。

 使われてさらに磨かれた道具ほど、美しいものはない。

 

 心と身体は天から借りた大切な道具。

 ピカピカに磨き、ていねいに扱って十二分に用を為したなら、一回りも二回りも大きく輝きを増した借り主の魂は堂々と天にお返しすることができるだろう。

(170217 第285回)

 
人生に失敗がないと、人生を失敗する
斎藤茂太

「モタさん」の愛称で知られる精神科医の斎藤茂太氏の言葉である。

 90歳で亡くなった彼は随筆家でもあったことから、晩年は作家活動に多くの時間を費やしていたという。

 生涯現役を続け、亡くなった時も多くの仕事を抱えていたというのだから、頭が下がる。

 

 「“失敗”と書いて“経験”と読む」

 誰かがそう言っていたことを思い出した。

 なるほどそうかと膝を打った。

 

 「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。ただ、挑戦することだけを望んでいるだけです」

 マザー・テレサのこの言葉が重なった。

 

 成功と失敗は、勝ち負けとは違う。

 成功も失敗も、チャレンジという意味ではどちらも同じ。

 

 失敗したくないから何もしない。

 成功したいから何かをする。

 さて、どちらの命の方が輝いて見えるだろう。

 神の目になって眺めて欲しい。

 

 失敗も成功も単なる言葉の違いと運の違いにすぎない。

 経験したから失敗も成功もあるのだ。

 

 モタさんの言葉をちょっと拝借。

「人生に経験がなければ、人生を失敗する」ということですよ。

(170214第284回)

 
片目をつむるというのは、見て見ないふりじゃなく、つむっている片目で自分の心の姿も見るといいのね
三浦綾子

 以前紹介した『塩狩峠』の著者、三浦綾子の言葉。クリスチャンであった彼女だからこその視点である。

 イギリスの神学者、シラーの「結婚前には両目を大きく開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」という最後の言葉を幾たびも反芻したのにちがいない。

 後年の作品が、彼女の言葉を夫が書き留めた口述筆記だったということを鑑みても、どれだけ二人が互いを思いやってきたかが伺える。

 それもこれも、閉じ合っている片目の視線がおのおのに向けられていたからではないだろうか。

 

 片目をつむるのは、何も伴侶に対してだけではない。

 他者との関係を良好に維持していこうとするならば、つむった片目の視線は自分の心に向ければいい。

 わがままになってはいないか、相手を思いやっているか、感謝を忘れてはいないか、素直さを忘れてはいないか…。

 

 出会いは両目で、継続は片目で。

 視線の先を変えるだけで、見える景色も人の器も奥行きが出ることだろう。

(170211第283回)

 
言葉は心の足音である
松原泰道

 以前にも紹介した龍禅寺元住職の松原泰道老師の言葉である。

「言葉は心の足音」という表現に感動した。なんて素敵なんだろうと。

 まさに松原老師の心の足音を聞いた気がする。

 

 発する言葉が心の足音ならば、記された文章の一文字一文字は心の足跡なのだろう。

 情報化社会の現代は、姿の見えぬ不気味な足跡のルツボである。

 SNSによって世界は狭く身近なものとなり、隣の芝生に土足で入り込み足跡を残していく亡霊たちが氾濫している。

 庭に垣根を作らずオープンにする方もする方だが、勝手に入り込んで芝の青さを羨み妬む輩もいかがなものかと思う。

 

 ぽつりとつぶやいた一言が、善くも悪くも人の一生を変えてしまうことがある。

 他人だけではない。

 その言葉を一番最初に見聞きしているのは自分自身。

 気をつけたい。

 

 心の足音に耳をすましてみよう。

 どんな足音が聞こえてくるだろう。 

(170208 第282回)

 
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