多樂スパイス
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What's TarakuSpice?

自分が好きなことを見つけて無我夢中で取り組み、ひとつずつ目標をクリアする。そうやって愉しみながら、自分という人間をぶ厚くしていく……。今がベストで、未来には未知の楽しみがある。これが、多樂の本質である、と『多樂スパイラル』のまえがきで書いたが、その原理原則は今も変わっていない。

日々の生活のなかで、森羅万象に潜む多樂をいかに味わうか。心に映りゆくよしなごとを書き留めておこう。それが読者の方々にとって、なんらかのスパイスになればとの願いもこめて…。

 

Blog TarakuSpice

文章は生き物
2017.03.25

 時を経て、なお生きているものがある。

 文章もそうだろう。
 例えば、いま、モーパッサンの短編集を読んでいるが、「二人の友」を読むと、普仏戦争当時、プロシア軍に包囲されている状況下、久々に出会った釣り仲間とパリ郊外へ釣りに出かけ、そこでスパイと疑われて捕縛される二人の男の心情が手に取るようにわかる。〝頭のてっぺんから足の爪先までぶるぶる震えながら〟死を待つ心境がわかるような気がするのだ。19世紀に書かれた文章が、いまなお輝きを失っていない。
 そういうものの積み重ねが人類の財産となっているのだろう。

 

 偉大な先達とは比べるべくもないが、不肖・私が8年前に書いた文章が、師・田口佳史氏の新著『人生に迷ったら老子』(致知出版社)に引用されている。『fooga』第90号の特集記事に掲載した文章である。田口先生の著書に拙文が引用されるなど、栄誉にもほどがある。私は果報者だ。
 つねづね時間の経過に摩耗しない、本質的な文章を書こうと思っているが、言うは易し行うは難し。そう簡単にできることではない。しかし、書くべきテーマと出会い、自分のモチベーションが極限まで高まった時、それは可能になる。もちろん、そんなことは数年に一度あるかないかだ。
 おそらく何者かが私に取り憑き、私の体を使って文章を書かせるのだろう。『fooga』第65号の中田宏氏特集記事もそうだったし、近著『扉を開けろ』もそうだった。そして、まぎれもなく田口佳史先生の特集記事もそうだった。
 いま、あらためて読んでみて、自分の文章ながら、自分ではない誰かが、たまたま私の手足と頭を使って書いたのではないかという気がする。どうやってこれを書いたのか、と訝るほどに。
 引用された部分は、田口先生の25歳のときのアクシデントについての描写である。その文章をここに掲載する。

 

 

 その時、田口佳史はバンコク郊外ののどかな農村で記録映画の撮影をしていた。
 水田の中にある農家の庭先で、少年が二頭の水牛を使って脱穀しているのが目に映った。和牛の二倍ほどもある、筋骨隆々の巨躯と猛々しい角に魅了され、その美しさをなんとしても撮りたいと思い、近づいた。
 その時である。撮影機材に刺激されたのだろうか、ふだんは穏やかな水牛が、満腔の怒気を擁して突進して来たのだ。田口は、逃げるすべもなく角で右の腎臓を突かれ、空中に放り投げられた。体は裂かれ、背骨の一部を吹き飛ばされ、内臓が飛び出した。地面に叩きつけられても水牛の攻撃は終わることなく、再び他の水牛から背中を突かれ、放り投げられた。それまでののどかな風景が、修羅場と一変した。凄惨な血祭りは十五分ほども続いたという。
 同行していた撮影クルーは、誰一人なすすべがなかった。内臓が飛び出してしまった人の処置をどうしていいのかわからず、茫然自失となっていたのだ。
 しかし、不思議なことに、それほど体を切り裂かれても、田口の意識は冴え冴えとしていた。まるで月光のごとく、明瞭だったという。取り乱すことなく、破れたシャツの切れ端や稲わらなどが付着している自分の内臓を肉の破れ目から体内に戻した。
 それからクルーたちは田口を車に乗せ、猛スピードで病院へ向かった。
「とても不思議だったのは、死が近づくにつれて意識が冴えてきたことでした。痛みも感じず、感覚はますます研ぎ澄まされ、見えないものが見えるようになってきたのです」
 どういうものが見えてきたのですか、と問うと、おかしな話と笑われるかもしれないけれど、と前置きした後、こう続けた。
「突如、白髪の老人が目の前に現れ、私たちは会話を交わし始めました。会話の内容は一字一句明瞭に覚えていますが、いわゆる黙契を交わしたわけですので、内容については口が裂けても言えません。話の決着がついた瞬間、田んぼの中からパトカーが現れ、スピード違反で捕まってしまいました。しかし、それで助かったとも言えます。事態を知ったパトカーに先導され、短時間で病院へ搬送されたのですから」
 たどり着いたところは、シリラ王立病院。
 しかし、駆けつけた医師は、田口の体を見るなり、治療を拒否した。手のほどこしようがない、と見たらしい。
 幸運だったのは、同行していた通訳のタイ人が医師を説得してくれたことだ。「この人は外国人だ。必要な手当をしなければ外交問題になるぞ」と脅しにも似た口調で医師を説得し、止血やレントゲン検査などの必要な措置をとらせた。
 それから間もなく、田口は意識を失う。
「意識を取り戻したのは三日後の夜でしたが、それからの十日間は生死の境を彷徨っていたのだと思います。『あの世』もかいま見ました。一面咲き乱れる色とりどりの花々が青空の下、どこまでも広がっている。ぽかぽかと暖かい陽気まで感じました。しかし、なんとか峠を越し、もしかすると助かるかも知れないと思い始めた頃から急に死の恐怖が襲ってきました。自分は死ぬと覚悟していた時はそういう恐怖はなかったのに、生きられるかもしれないと思った途端、死が怖くなったのですから、不思議ですね。とにかく死ぬのが怖かったのです。目を瞑り、このまま眠ってしまったら二度と目を覚まさないのではないか、と考えただけで恐ろしくなり、一晩中起きていようとしていました」
 何度も死を宣告されたが、その都度蘇生した。田口の全身全霊が「生きたい」と希ったのだろう。
 検査の結果、左側の腎臓など内臓や背骨の損傷、左脚の機能不全などが判明したが、驚くことに水牛の角による裂傷は動脈と脊髄をそれぞれ一センチ程度かわしていることがわかった。
 蛇足ながら、田口にはそれがどうしても偶然の結果に思えず、何らかの見えない力に守られた、と思えた。

 

 1回目の引用はここまで。もうひとつの引用文には、田口先生と老子との邂逅が書かれている。

 

 

 中国古典との出会いは、ひょんなことからやってきた。まだ、バンコクの病院に入院している時だった。田口の事故を伝え聞いた在留日本人が見舞いにやってきて、ある差し入れを置いて行ったのである。
 それが、『老子』だった。その後の田口佳史の人生は、その書物によって根底から変わることになるが、優れた書物というものは、本来そのような力を内包しているのだろう。
 田口は絶望感に打ちひしがれ、絶え間なく襲ってくる激痛のなかで、藁にもすがる思いで文字を追った。漢語の原文と読み下し文のみが書かれている本で解説がついていたわけではなかったが、不思議と理解することができた。それまで、読み下し文に親しんでいたわけではない、『老子』についての知識も皆無であった。それなのに、難しい言葉がスラスラと頭に入ってきた。極限の痛みで書物を読めるような状態ではないのに、まるで乾いた土地にみるみる水が沁みこむように田口の頭に老子の思想が入ってきたという。
 感覚が剥き出しだったのだろう。生きるよすがを希求する田口の魂と『老子』に書かれてある言霊が融合したのだ。そう考える以外に、ない。
 そのようにして、田口は肉体的な後遺症と中国古典思想という、大事故がもたらした二つをもって、日本へ帰ることになるのである。
 日本に戻った田口は『荘子』へと読み進め、老荘思想に頭のてっぺんからつま先まで浸かることになる。

 

 以上が引用文である。本書はその後、重度の身体障害になった田口先生がどのような人生をおくることになったのか、そして、中国古典思想はどのような影響を与えてくれたのかなどを綴っている。
 言葉というのは不思議だ。生きるためのよすがとなるのだから。以来50年間、田口先生は中国古典思想を血肉とし、社会の第一線で活躍されている。
 私は取材の後、田口先生の門下生になった。ずっと「本質を学ぼう」と思っていたが、世のなかにある講義やセミナーの大半は即物的・表面的で、まったく興味が湧かなかった。
 祖師ヶ谷大蔵にある玄妙館(田口先生の経営する会社の社屋でもある)で初めて受けた講義が「老子」だった。「ああ、これが求めていたものだ!」と強く感じた。以来、今も田口先生に教えていただいている。
 皆さん、ぜひ読んでください。アマゾンで予約販売、始まっています。
(170325 第709回 写真上は『人生に迷ったら老子』の表紙、下は『fooga』第90号の表紙)

 
遊べ、学べ、仕事をしろ
2017.03.20

 歳を重ねると、いろいろなことがわかってくる。ただ単にわかったような気になっているだけかもしれないが、少しずつ本質に近づいていると実感することがある。

 電通の過労死事件が発覚して以来、「働き過ぎ=悪」という図式ができあがってしまった。それでなくても、日本人は働き過ぎというレッテルを貼られていたため、これを機に、繁忙期以外の時間外労働を月100時間以内にするなど、法律で労働時間を制限しようという動きが加速している。
 それっていいことなのだろうか。
 もちろん、悪徳ブラック企業によってボロ雑巾のようにこき使われている人を解放するという目的であれば、いいことだと思う。しかし、たくさん仕事をして上達したいと思っている人にとっては、余計なお世話といえるのではないか。例えば、野球選手やピアニストや宮大工に対し、「○○時間以上仕事をして(練習して)はいけませんよ」と決めたらどうだろう。レベルはどんどん低下し、その結果、面白みのない社会になってしまう。
 結局、そういうことなのだ。みんな平均的に仕事をしようというのは、プロフェッショナルを育てない社会にしようということでもある。
 私は、たくさん仕事をしたい人はどんどんすればいいと思っている。制限すること自体、とてもナンセンスだ。その理屈は、サラリーマンでも同じだと思っている。
 日本人の勤労観は、もともと西洋のそれとは大きく異なっていた。仕事は自分を磨く機会ととらえていたし、もっと言えば神事に近い行為でもあった。西洋化してしまったのは、戦後、全労働者に占めるサラリーマンの割合が多くなってからだろう。
 本来はウィークデーとか週末という発想もなかったはずだ。お天道様が昇ると同時に仕事を始め、日が沈むと休む。お天道様は土日だからといって昇らないということはない。日照時間は日々変わるものの、毎朝昇って、夕方沈む。多くの人間がそれに合わせて仕事をしていたはずだ。
 しかし、いつからか、月曜日から金曜日までが仕事をする日で、土日は休日ということが「常識」となった。
 はたして、それがいいことなのか?
 私の考えを押しつけるつもりはないが、私は毎日同じリズムで生活を送っている。毎朝6時半すぎから仕事をする。土日もゴールデンウィークも年末年始もほとんど同じだ。
 ただし、休みたいと思えばいつでも休む。体が休みを求めていると感じれば、できる限り休息をとろうとしている。つまり、一日の中で休みをとっているので、あえて休日を設ける必要がないのだ。

 

 冒頭に戻る。年齢を重ねて、いったいなにがわかったのか。
 遊びと学びと仕事は表裏一体であり、突き詰めると境界がないということである。
 常識的には、学校に入学するまでが遊び、その後、学生になって学び、社会人になって仕事をする。その間、土日などの休日が休みという区分けがなされているが、じつはそうではなく、3者は表裏一体、渾然一体となっているということ。
 つまり、遊んでいるようでその実、学びでもあり、仕事にも役立っている。あるいは、仕事をしているけれども、そのまま学びでもあり、遊びのように楽しい。それが「遊学働の三位一体」ではないか。例えば、私にとっては旅も食事も読書も人に会うのも、すべて学びであり仕事であり、そして遊びでもある。
 上の図を見ていただきたい。左が世間的な常識の図。3者はそれぞれ別のものであり、分離している。しかし、3者が互いに相乗効果を発揮するようになった状態が真ん中の図。これを突き詰めると、遊びも学びも仕事もほとんど一致してしまうという状態。これが理想的だと思っている。
 私はどのような状態かって? 真ん中と右端の中間くらいではないかと思っている。もちろん、目指すは右端の状態。あと10年も過ぎれば、そういう状態になっていると密かに思っている。
(170320 第708回)

 
もしも愛読書を失ったら……
2017.03.16

 先日、読売新聞の「空想書店」欄にカキ養殖家・畠山重篤氏の記事が載っていた。彼は森と海の連関性を学ぶ際、「人と対話をするには、文系の力が必要だ。(そのためには)手当たり次第本を読むしかない」と思ったという。以下、記事から抜粋。

「当時は上京すると、発車時間ぎりぎりまで東京駅前の書店で本を探し、重いカバンを掲げて新幹線に飛び乗っていた。そんな生活が20年近く経過し、海辺の部屋の壁という壁に取りつけた手作りの本棚は、天井から床まで雑多な本で埋め尽くされていたのだ。
 京都大学の理系の3人の博士が、それを見て目を見張ったのを覚えている。
 体の一部のように頼りにしていた本を、6年前の東日本大震災による津波ですべて失ってしまったのである。あらゆる財産を失ったが、愛読書が消えたショックから未だ立ち直れない」

 

 察してあまりある。もしも自分だったら、と思うと、その喪失感が手に取るようにわかるのだ。
 つくづく思う。私がいまのようなライフスタイルで人生を楽しんでいられるのは、一にも二にも本のおかげであると。特別な才能をもたず、学歴も財産も人脈もない人間が知的創造の仕事に就いて、まがりなりにも成果を出し続けているのは、子供の頃から親しんだ本のおかげだ。だから、畠山さんの言う「体の一部のように頼りにしていた本を」という感覚は理解できる。体というより、心身と言ったほうがより近いと思う。
 入手した本の9割は読んでいる。捨ててしまったものもあるが、大半は所蔵している。千駄ヶ谷と宇都宮の自宅、そして市ヶ谷の事務所にある数千冊の本は、まさに私の血肉となった原形質でもあるのだ。
 思い出深い本もたくさんある。小学生の頃に母から買ってもらった世界の古典や娘がまだ小学生の頃、誕生日のお祝いに買ってくれた本がいくつもある。一ヶ月のこづかいが500円だった頃、娘はコツコツとそれを貯め、ある作家の単行本の上下巻を買ってくれた。じつに7ヶ月分の出費だった。扉に書かれているたどたどしい字は、何度見ても微笑ましい。そう、あの頃は誕生日に本をプレゼントするという習慣だった(社会人となった今は、ブランドものに関心が集まっているようだが)。
 ところで、私の本を選ぶ基準だが、ハウツーものをはじめ、すぐに役立ちそうなものにはほとんど触手が動かない。すぐに役に立たないもの、例えば、文学書、思想書、歴史書、芸術書などが圧倒的に多い。特に小説はその根幹を占めている。思想家の執行草舟氏も言うように、私はリベラルアーツの根幹は、時間の経過に摩耗しない小説だと思っている。それらは人間の人間たる所以を探るべく、あらゆるアプローチをしている。だから、そういう良書にたくさん巡り会えば、数百人、数千人もの人生の一部を味わえたことになる。だからといって、現代作家の作品を読まないわけではない。これからずっと読み継がれるであろう作品を発掘していくのは、これまた楽しいものである。
 私の読書スタイルは、基本的に3冊を並行して読むということ。ひとつは世界の古典(現在はジェーン・オースティンの『エマ』)、もうひとつは日本の近代史(現在は福田和也の『昭和天皇』全7巻)、そしてもうひとつは無差別に選んでいる。この3つめが肝で、これは偏らないようにという主旨でさまざまなジャンルから選んでいる。例えば、今なら政治関係の本だ。これからそういう分野の本を書くためである。

 話は戻るが、畠山さんの喪失感はどうやったら埋めることができるのだろう? 橋本五郎さんならわかるかもしれない。
(170316 第707回 写真上は市ヶ谷の事務所にある書庫。中は千駄ヶ谷の自宅にある書庫。下は宇都宮の自宅にある書庫)

 
美しき「人馬一体」
2017.03.12

 競輪・競馬・パチンコ・マージャン……。賭け事の代表格だが、私はとんと縁がない。若い頃にパチンコをやったことはあるが(当時は可愛い遊戯だった)、競輪も競馬もマージャンも一度も経験がない。

 しかし、生まれて初めて馬券を買った。3回買って、すべて外れだったが、だいたい概略はつかんだ。さ〜て、これから本腰入れて競馬場に通うとするか。
 というのはウソで、死ぬまで賭け事にはまることはないだろう。なにしろ会社経営自体が賭け事のような要素を含んでいるため(もちろん、そうではない部分の方が圧倒的に多い)、わざわざその世界に入る意味がない。以前、アメリカ南部のカジノへ行ったときも、特になんの感興もなかった。

 

 賭け事というゲーム(からくり)を作ったのは人間だが、サラブレッドを作ったのも人間だ。

 今回、取材のために大井競馬場へ行ったのだが、その人に教えてもらった。「サラブレッドという種はない」と。つまり、サラブレッドという固有種はなく、近親交配をして作り上げた馬であると。そう考えると、サラブレッドはアートの領域に入るのかもしれない。

 レースを観戦し、思った。なんと美しいのか。弾丸のように疾走するサラブレッドとそれを操る騎士の姿。まさに〝人馬一体〟とはこのことだ。
 馬の世界も人間と同様、厳しい。力のある馬は何十億円と稼ぎ(どんなに稼いでも、使うのは人間だが)、引退後も丁重に扱われる。いっぽう、そうではない馬の運命は想像の通り。すべて人間様のごつごうしだいだ。
 今回取材した人は、誘導馬の調教師である。馬との温かい交感の話を聞くと、人間はいろいろだなあと思う。
 そう、人間はいろいろなのである。当の人間さえもわかっていない、不可解な闇を抱えて生きる種なのである。
(170312 第706回 写真上はスタート直後のシーン。下はレースが終わった後の大井競馬場)

 
これが沖縄の真の姿
2017.03.07

 ある点と点がつながって、沖縄関連の本を出版することになった。

 タイトルは『沖縄が好きな人へ…「これが沖縄です」』。著者は沖縄で生まれ、育った新垣治男(あらかきはるお)氏。
 沖縄と聞くと、「海がきれい」「気候が温暖」というイメージが浮かぶ。美しい風景、快適な自然環境は神からの恩賜にほかならないが、沖縄はその中でも一頭抜きんでている。
 いっぽう、政治的にはかなり偏ったイメージが浮かんでくる。米軍基地反対運動をはじめ、「なんでも反対している」というイメージを持つ人も多いことだろう。そして、「あの戦争のとき、ひどいめに遭ったのだから、しかたないよね」と落着させる。
 しかし、反対運動をしている人の多くは、本土から大挙して押し寄せた左翼活動家だということは案外知られていない。テレビや新聞で反対運動のデモなどを報道する際、そういうことには触れないからだ。
 私が知っている沖縄の人で、はっきりと基地反対を唱えている人はいない。もちろん、反対している沖縄県人もいるにはちがいないが、「沖縄の総意は、米軍基地に反対している」というのは、明らかにウソだ。
 沖縄の政治活動は、共産党など左翼勢力や中国によって巧妙に活用されているというのが実態だろう。しかも、沖縄のメディアは、いみじくも江藤淳が言った「閉ざされた言語空間」そのもので、「沖縄タイムズ」や「琉球新報」という、極端な左翼メディア一色に染められている。そんなこともあってか、翁長知事という偏った思想の知事が誕生してしまった。

 

 同書の著者、新垣治男氏は、沖縄の人の心を代弁していると私は思っている。
 まず、日本という生まれ、育った国への深い愛着が前提にある。そのうえで、いまの沖縄の状況に対し、「被害者意識ってみじめだと思いませんか」と問いかける。沖縄県人の被害者意識を煽って沖縄を日本から分断させ、中国へ近づけようとする勢力の魂胆を見抜いているのだ。それに対抗するには、誇りを取り戻す以外にない。
「沖縄の人の誇りを取り戻したい。そのために、やむにやまれぬ思いで書きました」と帯にあるように、新垣氏はある決意のもとに本書を書いた。
 真実はテレビや新聞の報道だけでは知ることはできない。そこで生活する人の〝ナマ〟の声こそがもっとも信じるに値するのではないか。
 同書は本サイトでも販売しています。
(170307 第705回)

 
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