メンターとしての中国古典
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君子は諸を己に求め、小人は諸を人に求む

2019.06.24

 これは論語の一節で、その意味は、立派な人格者は諸々を自分に求める。つまらない人間は諸々を他人に求めるということです。

 

自責と他責

 

 諸々とはいろんなことを指し、それらを自分に求めるということです。

 その代表格は、責任ではないでしょうか。悪い結果が出た時に、その原因を自分以外に求めることを他責と言います。

 会社ではよくあることですが、赤字の理由を景気が悪いから、商品悪いから、売り方が悪いから、社長が悪いから、最後はお客が悪いから。こんなにも自分が不遇なのは、上司が悪い、同僚が悪い、教わった先生が悪い、親が悪い。他人に責任を求め始めると、どこまでも責任転嫁することになります。そんなふうに考え始めると互いの非を責め合い、助け合いの精神やチームワークなど完全に崩壊するでしょう。

 20年ほど前ですが、〝超自責〟のベンチャー経営者に会ったことがあります。その方曰く、一切の言い訳をしないとのことでした。経営者として業績の悪さを景気のせいにしないのは当たり前。偶然で結果が左右されても、運が悪かったとは言わない。自分の生まれた環境も一切言い訳にしないと断言していました。この経営者は時代の風に押され急成長し、ベンチャーの雄と称されました。その後挫折があって世間での評価は下がったものの、私の中では今でもその方の自責の言葉は鮮明な記憶として残っています。

 

責任と信頼

 

 自責をいうのは簡単です。しかし、すべての責任を引き受けることは大変なことです。責任は自分の使命・役割に即した行動を求めるだけでなく、結果に対する責任も生まれます。

 私が長年ご一緒にお仕事をさせて頂いている中小企業のオーナー経営者は、最も自責の強い人たちではないかと思います。中小企業の多くは、会社の借金に対し経営者が個人保証を行なっています。事業に失敗すると個人財産は没収され、家族離散のリスクもあります。生涯その借金の取り立てから逃れられないことも考えられます。

 また、自分の後継者が用意できるまで何歳になっても引退できません。問題を起こしても、大企業のように記者会見をして引責辞任すらできません。すべての問題を自分で片付けないと墓場にも行けないということです。

 私がこれまでお目にかかってきた経営者の方は、そんな強い責任感と覚悟がある人でした。そんな人だからこそ、社員から信頼され、お客様から信頼され、銀行から信頼され、経営危機に直面しても誰か応援団が現れて、事業を継続し社員とその家族を守ることができるのです。

 問題を人のせいにする他責の人であれば、金の切れ目は縁の切れ目、周りの人はそこから離れて行くでしょう。もちろん、私は初めからそんな人からの仕事は受けません。

 

責任と自由

 

 今の世の中は、管理職や役員に出世することを望まない人が大半となりました。仕事は大変で給与は少なく割に合わない。上司を見ても疲れ果てて、あんな風になりたくない。こんな悲しい時代です。

 私が担当させて頂いている新任リーダー研修では、まず役職がつくことへ前向きな気持を作るために、次の質問から始めます。

役職に就くことのメリットとデメリット、一般社員でいることのメリットとデメリットは何かと問います。

どんな答えが出るかを表にしてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな感じです。

 そこで私は受講者の方に問います。

1)責任を避けると気楽に過ごせるけど、将来はどうなる?

2)責任が増えると大変だけど、自由度が増え成長すれば、将来はどうなる?

3)どちらを選択するかはあなたの自由だがどちらを選ぶか?

 

 こんな話をしながら責任を引き受けることの明るい部分に焦点を当て、前向きな姿勢を作ります。

 

「諸」とは何か?

 

 ここで最初の「諸(これ)」に立ち返って考えてみたいと思います。「諸(これ)」には決まった定義があるわけでなく、自由に解釈できるのが古典の面白いところだと思います。私なりには、こんな解釈ができるのではないかと考えています。

 

モチベーション(やる気) 

 よい結果が出て人に認められ評価されれば、人は承認欲求が満たされる。自己効力感や自己肯定感が出てやる気が出る。しかし、大事なのはうまくいかない時や、評価されない不遇な時です。その時は、自分の持ち味や信念、志や夢など自分の内面にモチベーションの源泉を求めることが大事ではないでしょうか。

 

チャンス

 フランスの細菌学者ルイ・パスツールがこんな言葉を残しています。 “Chance favors the prepared mind.”  

 その意味は、「チャンスは備えある者に訪れる」ということです。備えるということは、ただチャンスがくるのを待つのではなく、自ら機会を作っているという主体性がもたらすものだということです。

 人材輩出工場の一つと言われるリクルート社は、創業者の江副浩正氏が「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓を定められました。リクルートOBの知人は、会社を辞めてもこの社訓を自分の行動規範としているように感じます。チャンスを待たず、自らチャンスをつくる。そのチャンスを活かし、人生を良い方向に展開していきたいものです。

 

未来

 自分の未来は、誰が決めるか。組織で働いていると辞令やルールで自分の行動が決まります。どこでどんな仕事をするか、自分の給与はいくらか、いつ会社を辞めるかなど、重大な意思決定を会社に委ねることになります。つまり、サラリーマンは自分の未来と人生を人任せにしてしまう危険性があるのです。大事なことは、どんな環境であろうと自分の意志や意見を積極的に出して、自分の未来を自分で作ることではないでしょうか。

 

ほどほどの自責で

 

 自責は大切なことです。しかし、度を過ぎた自責は自分を追い詰めます。真面目で自責が過剰な人は鬱になる危険性が高まります。責任を感じるべき人が、とても鈍感だったりして、この世はなかなか上手くいかないものです。

 自問自答して自分で答えを導くことはとても大切ですが、世の中自分ではコントロールできないことだらけです。理不尽なこともたくさんあります。偶然がもたらす不運もあります。

 プロゴルフの試合を見ていると、運が勝敗を分けていると思うことが頻繁にあります。日本では数千万円、アメリカなどでは何億もの優勝賞金をかけ、死闘の末に1打差で勝敗が決まることが少なくありません。その1打の差は、ボールが飛んでいる時の少し風でボールの軌道が変わリます。さらに落下点が1センチ違うと、地面や芝のちょっとした形状にボールの跳ねる方向が影響されるのです。それが吉と出るか凶と出るかは、神のみぞ知るです。つまり、ラッキーな人が勝ち、アンラッキーな人は負けるわけです。実力差の優劣はつけられないレベルです。運も実力の内とは言いますが。

 不運にも1打及ばず勝てなかった人はこの事態を受け止めるか。答えは「今日は私の日ではなかった」です。そう言って気持ちを切り替えて次に試合の準備にかかるのです。

 

 

 

 

Profile

三村 邦久

三村 邦久

1961年、兵庫県生まれ。

株式会社アイパートナー代表。中小企業診断士。著書に『「愚直経営」で勝つ!』(PHP研究所)、『豊かな働き方 貧しい働き方 自分と組織のマネジメント論』『うーにゃん先生の持ち味コーチング』(いずれもフーガブックス)。

株式会社アイパートナーHP

http://www.i-partner.co.jp

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