メンターとしての中国古典
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紺碧の将

足るを知る者は富み、強めて行なう者は志有り

2022.12.05

 足るを知る者は富み、強(つと)めて行なう者は志有り。

 

 これは老子の一節で、その意味は「満足することを知っている人間が本当に豊かな人間で、努力を続ける人間はそれだけで志(目的)を成し遂げている」となります。

 ないものねだりをするのではなく、持てるもの与えられたもの(持ち味)を最大限に活かすことで精神的にも物理的にも豊かになれる。また自らが設定した志(ビジョンや目標)に向かって努力を積み重ねることができるのは幸せなことである。正しく老子は幸福論を説いているのです。

 

幸福経営

 

 経営の思想にはさまざまなものがありますが、「幸福経営」という研究テーマがあります。顧客満足のみならず社員はじめ取引先など関係するすべての人の幸福を追求しようという考え方です。

 幸福とは、Happiness(ハピネス)という短期的な心理の状態ではなく、Well-being(ウェルビーイング)という身体的、精神的、社会的に良い状態を表します。幸せの研究によって、統計学に基づいてわかってきたことは以下のような内容です。

1. 利他的な人は幸せである。

2. 誠実な人は幸せである。

3. 視野の広い人は幸せである。

4. 人と仲良くできる人は幸せである。

5. 自己肯定感が高く、チャレンジ精神のある人は幸せである。

 この研究結果を見て、中国古典と重なる部分がたくさんあることに気付きました。そこで中国古典を通じて、幸福とは何か、いい人生と何か、を考えてみたいと思います。

 

「好きを楽しむ者が最強」

 

 論語より「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず」

 その意味は、「物事を理解し知っている者は、それを好んでいる者には及ばない。物事を好んでいる者は、それを心から楽しんでいる者には及ばない」となります。

 会社や上司からの指示待ちでやらされ感を持って働くのではなく、好きや楽しいに焦点を当てて自発的に働くと幸福になれるのではないでしょうか。

 仕事においては苦労や辛いことは多々ありますが、たくさんの喜びや楽しさがあります。例えば、何かをやり遂げる喜びつまり達成感、必要とされ・頼られる喜び、感謝され・認められる喜び、好きなことに没頭する喜び、新しいものを発見する喜び、学び成長する喜び、自由(責任とセット)の喜び、工夫・創造する喜び、自分らしさを表現する喜び、人や社会とつながる喜び、尊敬される喜び、給与やボーナスが貰える喜びなどが挙げられます。

 

「学びと友を大切にし、評価に囚われない」

 

 論語より「学びて時にこれを習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。朋(とも)有りて遠方より来たる、亦楽しからずや。人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや」

 その意味は、「学んだことを時に復習するのはより理解が深まり喜ばしいことだ。友人が遠くから訪ねてくれて学問について話し合うのは楽しいことだ。他人に理解されなくとも気にしないと言うのはとても立派なこと(人)だ」となります。

 

 できなかったことができるようになる。常に人間性を高める。幾つになっても成長し続ける人は魅力的です。そして移ろいやすい周囲の評価に一喜一憂しないこと、承認欲求の呪縛に囚われないことは幸福になる上で大切なことです。

 

「物心両面の豊かさを」

 

 大学より「富は屋を潤し、徳は身を潤す。心広く体(たい)胖(ゆた)かなり」

 その意味は、「お金ができると、立派な家が建ち贅沢な暮らしができる。徳が身につくと、自然に品位が備わってくる。心が広くなり、振る舞いもゆったりと余裕が出て、風格が生まれる」となります。

 

 今の世の中、お金がないと生きていけません。お金がななければやりたいことができないし、嫌なことにNOと言えません。またお金があっても幸せになれるとは限りません。人間性を磨けば人望ができ仕事もうまく行き、お金にも困りません。急がば回れ! 徳を身につけることが幸福への近道なのです。

 

「純朴で自分らしく」

 

 老子より、「素を見(あらわ)し樸(ぼく)を抱(いだ)き、私(わたくし)を少なくして欲を寡(すくな)くす」

 その意味は、「生まれ持った心を素直に表して、切り出したばかりの丸太のような純朴さを内に秘めよ、利己心を少なくして欲望を少なくせよ」となります。

 

 世間体など周囲の価値観に迎合して自分を見失うのではなく、自分のありのままを受け入れ、持ち味を活かして可能性を追求することが幸福であり続ける秘訣なのです。

 

「非戦の平和主義」

 

 孫子の兵法より「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」

 その意味は、「百回戦って百勝しても、何らかの損害がでるので最善とはいえない。戦わずして勝ち、相手の兵を従わせることができれば、それが最善である」となります。

 

 老子より「勝ちて而(しか)も美ならず、而るにこれを美とする者は、これ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以(も)って志を天下に得べからず」

 その意味は、「勝利を善いことだとしてはいけない。勝利を善いことだとする人間は人殺しを楽しむ人間だ。そんな人間が天下を得られるはずがない」となります。

 

 戦争のように相手に敵対し叩き潰すと、双方に多大な被害が出て禍根を残すことになります。仕事においてはスポーツのように、しのぎを削って勝敗を競っても試合が終わればOff-side。ライバルと切磋琢磨して共に成長するリスペクトある関係づくりが大切です。そうすればいい思い出と生涯の親友ができるでしょう。

 

とは母のお腹に帰ること」

 

 老子より「生に出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒も十に三有り。人の生、動いて死地に之(ゆ)くもまた十に三有り。それ何の故ぞ。その生を生とすることの厚きを以(も)ってなり」

 その意味は、「人は皆この世に生まれては、いずれ死んで行く。十人の人がいれば寿命をまっとうできるのは三人くらいであり、寿命をまっとうできずに死んで行くのは十人の内の三人くらいである。自ら望んで死地に赴き死んで行く者もまた十人の内に三人くらいいる。なぜそんなことになるのかと言えば、それは生に執着し過ぎるからである」となります。

 

 我々は「母親のお腹から生まれ、死して再び母親のお腹に帰る」と考えれば死への恐怖も少しは軽くなるのではないでしょうか。また、文明の進歩で便利で快適な社会ができましたが、裏では地球の資源を使い尽くし、環境を破壊し健康や命の危険を感じる事態にもなっています。これは生への執着で欲を貪った結果とも言えるでしょう。どこまで欲をセーブできるか、地球の未来をどこまで考えられるか、人間の本当の賢さが問われているのです。

 

「仲間がいるから寂しくない」

 

 論語より「徳孤ならず、必ず鄰(となり)あり」

 その意味は、「徳の備わっている人間は孤立することがない。必ず仲間・理解者・応援者がいるものだ」となります。

 

 仕事で成功する秘訣も、孤独老人にならないための秘訣も同じ。徳を積む人は幸福な人生を送ることができるというこの世の普遍の真理と説いています。

 

 中国古典は春秋戦国時代という群雄割拠の戦乱の時代に生まれた思想であり、いかに生き残るか、いかにいい人生を送るか、いかに負けない国を作るか、いかに立派なリーダーを育てるか、いかに平和な世の中を作るかなど、まさに「幸福追求」の思想と言えるでしょう。

 

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