メンターとしての中国古典
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本物の真髄(電子版)

自ら師を得る者は王たり。友を得る者は覇たり

2022.02.11

 自ら師を得る者は王たり。友を得る者は覇たり。疑を得る者は存(そん)し、自ら謀(ぼう)を為(な)して己に若(し)くなき者は亡ぶ。

 

 これは荀子(じゅんし)の帝王学を説いた一節で、「自分を教え導いてくれる師を持てば天下の王者になれる。自分を諭してくれる友人を持てば覇者となれるし、疑問をぶつけてくれる臣下を持てば国を存続させることができる。しかし、自分ですべてを処理し、臣下を無能呼ばわりするようになったのでは亡びるのも近い」という意味になります。

 つまり、良き師・良き友・良き部下を持てば組織は成長発展し、傲慢で人を見下せば裸の王様になり組織は衰退滅亡する、という組織のトップのありようを示しています。

 

荀子とは

 

 荀子(紀元前298年or 313年−紀元前238年)は、中国春秋戦国時代末の思想家・儒学者で「性悪説」で有名です。荀子は中国の趙(ちょう)の国に生まれ、50歳で初めて斉(せい)に遊学。斉の襄王に仕え、斉が諸国から集めた学者たちを「稷下(しょくか)の学士」の祭酒(学長職)に任ぜられました。現在で言うならば、国家のシンクタンクのトップを勤めた人と言えます。幕末であれば、昌平坂学問所のトップを務めた佐藤一斎や私塾ではあるものの松下村塾を主催した吉田松陰と似たような新しい時代をつくる人材を輩出した人物と言えるでしょう。

 全国各地から集められた陰陽家、道家、法家、墨家、兵法家、儒家など多くの学者は、稷門の近く(稷下)の邸宅を与えられ、多額の資金を支給され、学問・思想の研究・著述にあたりました。その中の一人が荀子なのです。稷下の学士たちは日々論争し、人々はこれを百家争鳴(ひゃっかそうめい)と呼び、さまざまな思想や学問が接触し、学者たちの間で討論が行わることで論理が磨かれ、相互理解を深めることにつながったのです。

 

王者と覇者、聖臣と功臣

 

 冒頭の一節の背景には、荀子の次のような考え方がありました。

 君主は人民の源であり徳を持って人民を統治し、平和的に天下を統一しなければならない。礼(国家運営の秩序原理)を尊重し、賢者を尊敬すれば王者となる。礼に基づく法を重視し人民を愛すれば覇者となる。さらに臣下の種類には、態臣(たいしん)、簒臣(さんしん)、功臣、聖臣というものがある。態臣とは、動きは俊敏で巧妙、口は達者で君主にへつらい、取り入る姦悪な臣下。簒臣(さんしん)とは、君主への忠誠心などなく、自分の公人としての立場を考えず、徒党を組んで権力を握り君主を惑わす臣下(権臣ともいう)。功臣とは、君主に忠義を尽くして、人民を愛して飽くことがない臣下。聖臣(せいしん)とは、君主を尊んで人民をよく愛して教育し、変化に対してよく機転が利き、細やかに要所を押さえてさまざまな現象を制することができる臣下である、と言っています。

 よって聖臣を用いれば王者となり、功臣を用いれば組織は強く繁栄し、簒臣を用いれば自分の立場が危うくなり、態臣を用いれば亡んでしまう、というのです。

 

性悪説によるマネジメント

 

 荀子は性悪説で、人間の性を「悪」すなわち利己的で弱い存在であると認め、君主は「偽=後天的努力(すなわち学問を修めること)」によって善へ向かう必要があると説きました。人間の「性」(本性)は限度のない欲望であり、社会秩序なしに皆が無限の欲望を満たそうとすれば、奪い合い・殺し合いが生じて社会は混乱する。それゆえに人民は徳のある立派な君主に従い、規範(=「礼」)に従うことによって生命の安全が確保され窮乏から脱出できると考えました。

 荀子が生きた春秋戦国時代の末期では、韓(かん)、趙(ちょう)、魏(ぎ)、楚(そ)、燕(えん)、斉(さい)、そして秦(しん)の7カ国に分かれてしのぎを削っていました。封建社会において王とその一族による独断専制的な国家経営が行われ、各国間で策謀や侵略が繰り返され、中国大陸が分裂し人民が苦しんだ暗黒の時代でした。こんな欲望渦巻く時代には性善説だけでは平和な世の中を築くことはできませんでした。そんな時代を荀子は直視していたのです。

 その後、紀元前221年、秦の始皇帝による中国大陸の統一をもって戦国時代は終わりを告げました。秦では君主の徳を基本としながら、法律による法治国家に転換するとともに、優秀な人材を広く集めて登用し強い国家作りを進め、天下を統一するに至りました。

 秦の始皇帝を丞相として支えたのは、趙(ちょう)の商人出身の呂不韋(りょふい)、そして楚(そ)の出身で荀子の弟子として帝王学を身につけた李斯(りし)でした。敵国の人材でも能力があれば重用する君主の懐の深さが天下統一につながったのです。

 

公正な法の精神

 

 戦乱の世を終わらせ天下統一の一助となった荀子の思想ですが、荀子は君主が学ぶべきことは「礼」であり、「礼」に従って行動するべきであると説きました。孔子や孟子も「礼」を個人の倫理のみならず国家の統治原理として捉える側面を一応持っていました。しかし荀子はそれを前面に出して「礼」を国家を統治するための技術として捉え、公正な法の精神へと発展させました。

 徳を持った君主が頂点にいて、君主が礼法を知った官吏を従わせ、人民を法に基づいて治める。つまり統治原理として「礼」を置く法治国家の姿を描いたのです。

 この思想が荀子の弟子である李斯(りし)に受け継がれ、秦帝国の皇帝を頂点とする官僚制度を確立しました。さらに漢帝国以降の中国歴代王朝では官僚が儒学を学んで修身する統治者倫理が加わって、後世の歴代王朝の国家体制として実現することとなりました。

 この思想や文化は現代の中国にも色濃く残っているように感じます。例えば、新型コロナウイルス対策においても、中国はロックダウンなど法律による強権で対応しています。一方、日本は「3密を避けましょう!」など国民一人ひとりの心に頼っている面があります。どちらが良くてどちらが悪いという問題ではなく、思想や文化の違いを感じる部分です。

 

荀子を現在に活かす!

 

 孔子や孟子は徳を持った人格者による政治や経営を説きましたが、あくまで理想論であると言えるのかもしれません。一方、荀子は人の抱える欲望とそれが引き起こす現実の問題を直視し、性悪説、徳(特に礼)と法律、そして社会の縦と横の役割分担を説きました。つまり政治やマネジメントを人格論に留めず、組織論やシステム論にまで展開しました。

 この荀子の考え方をいかに適用するかそれが大切なところです。例えば、同族でのワンマン経営で属人的な仕事のやり方をしている会社であれば、経営者は人徳を養い、能力主義の人事で権限委譲し、システマティックな業務運営に切り替えることが必要です。

利益至上主義、あるいは戦略や効率が悪くて成果が出ず社員が疲弊している会社は、原点に立ち返り、社員の幸せを考えることからリ・スタートする。そして合理性を重視した戦略や業務プロセスに転換する。

 不正や隠蔽、改竄が蔓延る会社では、ルールを破った者への厳罰行うなど信賞必罰を徹底する必要があります。

一番問題なのは、経営者が徳(人格)の大切さに気づかず、有能な人材を殺してしまう組織です。そんな経営者の下では、口は達者で社長にへつらい取り入る態臣(たいしん)、徒党を組んで権力を握り君主を惑わす簒臣(さんしん)が幅をきかせ、組織は早晩潰れるという運命が待っているのでしょう。

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