メンターとしての中国古典
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紺碧の将

大学の道は明徳を明らかにするに在り

2021.11.09

 これは四書五経の中の「大学」の一節「大学の道は明徳を明らかにするに在り民を親た(あらた)にするに在り、至善に止まるに在り。」を取り上げたいと思います。

 この意味は、「立派な人間になるという大学の道は、天から授かった立派な徳を明らかにすることにある、その徳をによって人民を感化し人間を成長させる、そして、最高の善の境地に至って止まり続けるということにあるのだ」となります。

 

マネジメントの要諦 「明徳、親民、至善」

 

 最近の楽しみの一つは外国の歴史ドラマを見ることで、中国の歴史ドラマ「燕雲台」のワンシーンをご紹介します。

 舞台は遼(りょう)の国。遼とは内モンゴルを中心に中国の北辺を支配した契丹人(キタイ人)耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝で、916年から1125年まで続きました。中原に迫る大規模な版図(現在の北京を含む)を持ち、かつ長期間続いた異民族王朝でした(中原とは、中華文化の発祥地である黄河中下流域にある平原のことで漢族にとって民族の発祥の地)。

 このドラマは、景宗(明扆 耶律賢 969年2月- 982年9月)の皇后である蕭燕燕(しょうえんえん)が主人公ですが、皇帝である耶律賢が病弱で、34歳で崩御する間際に幼い息子(次期皇帝 聖宗 文殊奴 耶律隆緒)に遺言を伝えるシーンがあります。

 その遺言の内容は、「大学の道は明徳を明らかにするに在り、民を親た(あらた)にするに在り、至善に止まるに在り」でした。

「大学」より引用して、「明徳」「親民」「至善」というトップに立つ者の指針を伝えたのです。これは、世のリーダーの理想形を表したもので、政治家、経営者、管理者、そして一人の人間としての鏡となるものです。

 

正しい順序をマスターする

 

 では、どうすれば「至善に止まる」ことができるのかについて、段階を追って説明しています。

 

 止まるを知って后(のち)定まる有り、定まって后能く静かに、静かにして后能く安く、安くして后能く慮り(おもんぱかり)、慮りて后能く得(う)。物に本末あり、事に終始あり。先後(せんご)する所を知れば、則ち道に近し。

 

 この意味は、「至善の境地に止まることを知った後、心が定まるということがある。心が動揺せずに定まって後、静かな境地に行き着く。静かな境地に辿りついた後、心身は安らかとなる。心身が安らかになった後、物事に対する思慮を働かせられる。物事に対して思慮深くなった後に、得るべきもの(明徳)を得ることができる。

 物には本末(本質と枝葉)がある、事には終始(始まりと終わり)がある。物事の先と後にすべき所を知れば、大学の道は近いのである」となります。次に、続きます。

 

ステップ① 自分の身を修めることから始める

 

 古の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、先ずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、先ずその家を斉う(ととのう)。その家を斉えんと欲する者は、先ずその身を修む。

 

 この意味は、「古代の明徳を天下に対して明らかにしたいという者は、まず(天下よりも先に)その国をよく治める。その国をよく治めたいという者は、まず(国よりも先に)自分の家族を整える。その家を秩序ある形で整えたいという者は、まず(家よりも先に)自分自身の身・道徳を修める」となります。さらに、続きます。

 

ステップ② 教養から正心誠意へ

 

 その身を修めんと欲する者は、先ずその心を正しくす。その心を正しくせんと欲する者は、先ずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、先ずその知を致す。知を致すは物に格る(いたる)に在り。

 

 この意味は、「その身を修めたいという者は、まず(身よりも先に)自分の心を正しいものにしようとする。その心を正しくしたいという者は、まず(心よりも先に)その意志を誠実なものにする。その意志を誠実にしたいという者は、まず(意志よりも先に)その知を高めようとする。知を高めるとは、物・事物の仕組みや原理原則つまり基本教養としての六芸(りくげい)を理解するということにある」となります。

 

 つまり、君子(立派な人)になるための起点は、「格物致知(かくぶつちち)」にある。「格物(基本教養・基礎科目である六芸(礼儀、音楽、弓術、馬車を操る術、書道、算術)を習得することによって、致知(物・事物の仕組みや原理原則・本質の理解)に至ると説いています。

 

ステップ③ 組織を整え国を治める

 

 物を格(かく)して后(のち)知至る。知至って后意(い)誠(まこと)なり。意誠にして后心正し。心正しくして后身修まる。身修まって后家斉う(ととのう)。家斉いて后国治まる。国治まって后天下平らかなり。

 

 この意味は、「六芸の基本教養を極めた後に、知に至る。知に至って後に、意志が誠実となる。意志が誠実となって後に、心が正しくなる。心が正しくなった後に、我が身が修まる。身を修めて後に、家の秩序が整う。家が整って後に、国が治まる。国が治まった後には、天下全体が平和になる」となります。

 つまり、まず「格物致知」から始めなさい。そうすれば知を獲得し、誠実な意志を持って心を正しいものにしていける。さらに、家の秩序を整えて国を統治することによって、漸く天下全体の平和にすることが可能になってくる。

 世界平和、いい国をつくる、いい会社をつくる、いい職場をつくろうとする立派な人やリーダーの究極の目標は、『格物致知・誠意・正心・斉家・治国』という基盤があってこそ達成できるというのです。

 

教養は人生や仕事でより良い選択を促す

 

 ここで教養の大切さについて述べておきます。

 教養とは、世の中に溢れるいくつもの正しい「論理」の中から最適なものを選び出す「直感力」、そして「大局観」を与えてくれる力であり、教養(リベラルアーツ)の起源は、古代ギリシャ時代に奴隷(≒アメリカ的奴隷)が自由人になるための技術として身につけたもので、音楽(文芸、詩歌、音楽)、算術(計算法や数論)、幾何学(平面図形)、天文からなる数学四科と文法、修辞、言語系の三科を指しました。

 そして現代の教養はと言えば、

 1)人文的教養:哲学や古典など

 2)社会的教養:政治、経済、地政学、歴史など 

 3)科学教養:化学、物理、医学など 

 4)大衆文化教養:大衆文芸、芸術、古典芸能、芸道、映画、漫画、アニメなどが対象となるのでしょう。

 このような目先の利益に直結しない幅広い教養が、大局的な視点からの選択(決断)の根拠なります。また教養は人間的な厚みと魅力を引出し、良い人間関係をも築く土台になるのです。

 

 

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