尽(ことごと)く書を信ずれば、則ち書無きに如かず
「性善説」を唱えた儒学者、孟子の言葉を紹介。儒教が「孔孟の教え」とも呼ばれるように、孔子についで儒教の中心的存在である孟子。理想主義で正道まっしぐらの教えは綺麗事のようにも思えるが、効率重視ですべてのものが機械化やマニュアル化された現代社会には必要なのではないかとも思う。
本は読まないより、読んだ方がいい。
いや、むしろ、読むことをおすすめする。
先達者たちの多くが口を揃えて言っているように、
読書が人生を豊かにすることはまちがいないのだから。
だがしかし、と孟子は一喝する。
「尽く書を信ずれば、則ち書無きに如かず」
書物に書かれていることをすべて鵜呑みにするなら、かえって読まない方がましではないかと。
孟子は書物としているが、「情報」という言葉に置き換えたほうがしっくりくるかもしれない。
書かれていることすべてが真実や真理とは言い難く、あくまでも書き手の思想であって自分の思想ではない。
すべてを信じ込むのはあまりに危険。
どこに共鳴共感するのか、どこをすくい上げ、どのように自分のものにしていくのか。
つまり、どんな情報も、「自分の頭で考えて見極めろ」と孟子は言っているのだ。
「読んだものが一人も気分を害さないからと言って、その本が無害とは限らない」
とイギリスの詩人、T・S・エリオットも言っているように、
100%無害の書物はありえないし、100%無害の情報も人間も存在しない。
聖書や経本でさえ、悪用されることはあるのだから。
AIやビッグデータが席巻する世の中だからこそ、
心身に問いかけ、感じ、思考し、出した答えの価値は大きい。
尽く書を信ずれば、則ち書無きに如かず。
本欄の情報も、丸呑み鵜呑みは危険だからお気をつけて。
(190919 第576回)