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如来は、人間の意欲によって人間を区別する

『法華経』

 大乗経典のひとつである『法華経』から。というより、故松原泰道老師の『法華経入門』からの抜粋である。全28品に及ぶ膨大なこの経典は、お釈迦様が庶民に聞かせた、たとえ話。どんな人間にも平等に教えが伝わるようにと、簡単な比喩を用いて話された説法物語である。この言葉は第5章「薬草喩品」にある一文で、鳩摩羅什が訳し切らなかった、漢訳にはない梵語(サンスクリット語)にある言葉だそうだ。
 
 お釈迦さまが人間を区別するなどあるわけがない。
 そう思っていたが、そうではなかった。
 お釈迦さまは仏さまであるから、それはそれは寛大な心をお持ちであろうと思っていたが、まったくもって勘違いしていた。
 いや、寛大すぎて気がつかなかっただけである。
 
 一生懸命がんばっている人を応援したいと思うのは、まっとうな感性を持ち合わせていれば当然だろう。
 どんな境遇にも負けず、ひたむきに努力する姿は神々しくさえある。
 
 土中に埋まった宝石も、磨かなければただの石。
 ひたすら磨き続けることで、ただの石も光り輝く宝石となる。
 きらきらと光るものに気づかぬ者はいない。
 暗闇であれば、なおさらである。
 
 境遇に差異はあっても、自分の中の原石を掘り起こし、磨く機会は平等に与えられている。
 それが何で、いつ気づくのかは、人それぞれだけれど。
 
 お釈迦さまは寛大な心をもって、原石を磨けとばかりに、あれやこれやの機会を与えてくれている。
 それぞれの器にあった試練を用意して。
 
 努力する姿は美しい。
 その輝きは、きっとお釈迦さまと同じ輝きにちがいない。

「おなじ光になれ」と言っているのだろうか。
 

 だからこそ、如来は人間の意欲で区別する。
 仏の顔も三度までとならぬよう、努力したいものである。
(180926 第347回)

 

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