あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。それをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである
ガンジーが遺した多くの言葉の中の一言。どうやら口頭伝承らしい。断食や「塩の行進」など、ガンジーの行動を考えると、なるほどそうかと納得させられる言葉である。世の偉人賢人たちの偉業を鑑みても腑に落ちる言葉だ。彼らは世界を変えたのではなく、世界によって変えられなかった人たちなのだろう。
人から見れば、どうでもいいことを淡々と続けている人はおもしろい。
それだけに、変人あつかいされることもある。
たとえば、四季報の完全読破を20年以上続けているとか、何年も寄席や銭湯に通い続けているだとか、何百もの禅語の暗唱や、ひたすら文字を書き写すなど、だから何? と思われるようなことを嬉々としてやっているのだから、変わっている。
変わっているが、彼らの軸は変わらない。
変わってゆくのは人の心であって、時が過ぎれば、変人扱いした人をもてはやすようになるのだから。
たとえ無意味だと思うことでも、続けていけば、それはいつか意味になる。
移りゆく自然の中で、他の生き物にはできない、人間だけができることのひとつに、無意味なことを淡々と続けていけるということもあるのだろう。
無意味なことの連続性が、文明や文化の一端をも担ってきたと言ったら言い過ぎだろうか。
何もしないで流されているだけでは、まんまと世界に変えられてしまう。
世界に変えられないようにするために、自分で自分を変えてゆこう。
淡々と続けた先にはきっと、進化を遂げた自分がいる。
風にゆれながらも飛ばされない、大地に根を下ろした樹のように。
(180914 第469回)