一日背負っている、生きているいのちの重みはもしかしたら、地球の重みかもしれませんね
大正時代の詩人、石垣りんの言葉である。エッセイストの山下景子さんの著書『しあわせの言葉』より抜粋した。山下さんの言葉に対する愛情は、詩人・石垣りんに違わずすばらしい。彼女が紡ぐ言葉を読むと、古きよき日本の心が思い出される。
ずいぶん昔に思ったことがある。
この地球は人間みたいだな、と。
いや、人間は地球なんだな、と。
古い手帖に書き記してあった。
「川は血液、海は心臓。山や湖はツボなのか? 核なるものは脳であり、ゴミはウンチか? ということは、人は…地球の細胞? そうか、人類は地球にとっての細胞なんだな。何千、何億という人間は、人体をつくっている何千、何億という細胞と同じなんだな」
と。
何を根拠にそう思ったのかはわからないけど、ふとそう思ったのを今でもはっきり覚えている。
それが正しいかどうかなんて、当時はまったく考えもしなかった。
あれからずいぶん時が過ぎて、知らなかったこともたくさん学び、なんとなくそれは真実ではないかと思うようになった。
いや、人間だけではない。
地球上に存在するすべての生物は、そのまま地球なんだろう。
約60兆もの細胞で成り立っていると言われる人間。
その一つ一つの細胞の核には、約30億という膨大な情報をもっている遺伝子がある。
この遺伝子を構成している4つの基本物質は、生きとし生けるものすべてが同じものを使って生きているという。
ただ、人間を人間たらしめ、犬を犬に、虫を虫に、植物を植物に、微生物を微生物にたらしめる遺伝子の1セット、ゲノムの違いによって、多様性のある世界が創り出されているのだとか。
なるほど、そう考えると話は早い。
すべての生物の元をたどれば地球に行き着く。
われわれが生きているのは、地球が生きているからであり、地球が生きているかぎり、生命は途絶えることなく永らえることができる。
一人ひとりの命の重みは、そのまま地球の重み。
だとしたら、生きづらくなるのは、一体である地球の動きと違うことをしているからかもしれない。
身体の声は、地球からのメッセージ。
耳をすまして聴いてみよう。
(180227 第406回)