安定とは、立つ場所ではなく、立ち方なのだと思う
前横浜市長、中田宏氏の言葉である。
どんな抵抗に遭おうとも、この国の行く末を案じて奔走する姿は、まさに現代の大久保利通。大胆な改革によって財政破綻寸前の横浜市を立て直した経験から発せられる言葉は、どれも真意を突いているものばかりだ。
就活をする若者たちは、給料や福利厚生が保障された一流企業でなければ満足しないという。親の期待はともかく、まだまだこれからの若者たちが口を揃えて言うのには首をかしげたくなる。きっと、大人たちからの何らかの刷り込みがそうさせているのにちがいない。
安定した仕事に就くこと、安定した企業に就職すること、安定した収入、安定した家庭・・・。
世の大半の人が「安定」を確保しようと躍起になるが、一寸先は闇ということを肝に銘じてほしい。「安定」は必ずしも「安心」にはつながらないのだから。
執行草舟氏も「安定、保障は生命の敵」と苦言を呈しているが、そもそも、この世界に安定した場所など存在するはずがない。いつなんどき自然災害が起こりうるやもしれず、生命は常に危険と隣り合わせなのだ。そのことは、先の震災で十分わかったはずではないか。
中田氏が言うように、「安定」は場所に左右されるものではない。
どんなにぐらつく場所に立たされようとも、自分の足でしっかりとバランスを取りながら立っていられることこそ、本来の「安定」というものだ。
(160413 第185回)