目は見ることをたのしむ。 耳は聴くことをたのしむ。 こころは感じることをたのしむ。 どんな形容詞もなしに。
長田弘
詩人、長田弘の『静かな日々』の冒頭である。
われわれ人間の体は、じつにうまくできている。
目も鼻も口も耳も手も足も、きちんと外部の情報をキャッチして、脳や内臓器官に伝達する。あたりまえのことだから、だれも気にもとめない。
目は見るためにあるのであり、耳は聴くためにあるのだ。
では、心は?
心は感じるためにある。
その心というものが、体の内部に潜んでいるもんだからなかなかつかみどころがない。
つかみどころはないけれど、たしかに体の中に存在するらしく、心がキャッチした情報は、時間を経て体の表に出てくるのだ。良くも悪くも。
幼い子供の頃にもどったように、ありのままの大自然を楽しむことができれば、心は感じる機能を取り戻し、自然の一部である自分は何を求め、何が必要で、何が必要でないかがわかるのではないだろうか。
(151108第136回)