歩くことが宗教であったかもしれない
昔は交通手段といえば、歩くことしかなかった。山岡鉄舟が星定和尚に禅の教えを乞うて三島まで通ったが、当時は三島と江戸を往復するくらい、なにものでもなかったらしい。
現代は交通機関があまりにも発達し過ぎたからだろう、自分の体を使って移動することを厭う人が増えた感がある。地方に住む私の友人に、1kmほどの距離でもタクシーを使う人がいる。車社会に慣れた人は、歩くのが苦であるようだ。
白洲正子と聞いて、すぐに連想するのは歩く姿である。彼女は「韋駄天お正」と呼ばれるほど、あちこちを歩いた。もともと華族出身であり、車を使えないわけではないのに、どこへでも歩いて行った。ちなみに、白洲正子の父方の祖父は海軍大将の樺山資紀、母方の祖父は同じく海軍大将の川村純義であった。とんでもない血脈なのである。ときどきNHKで古い映像を流すことがあるが、日曜美術館に出演していた白洲正子が自宅の居間に黒田清輝の「湖畔」が掛けられていたと語っていたことがあった。
上掲の通り、正子にとって歩くことは、宗教行為でもあったのだ。
彼女はこう語っている。
「日本には宗教がないという話だが、歩くことが宗教であったかもしれない。神さまは天に在(いま)すのではなく、山川草木の中に充満しているのではあるまいか」
山川草木に棲む神々と邂逅したくて歩き続けたのかもしれない。思えば、お遍路もまさにそういうことなのだろう。
私もときどき長い距離を歩く。すると歩くリズムが脳に伝わり、得も言われぬ心地がする。そんなとき、ネガティブなことはいっさい頭に浮かばない。ただ心地よい生物の塊になる。この季節、歩くにはうってつけだ。
(251118 第887回)
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