恋は本能なんだよ。これは神様が作ったのさ
辻邦生は、芸術をテーマにしたエッセイ集『美神との饗宴の森で』のなかで、フランス人独特の恋愛観を、モーパッサンの短編を援用してみごとに活写している。夫の裏切りに対し、復讐をした女性を擁護する孫娘に対し、熟年の女性がこう諭す。
「今の女の子は、まあ、なんてことを考えているのかね。恋ってのは神聖なものなんだよ。結婚と恋は別のものなのさ。結婚は家族を作るためのもので、家族を作って社会に加わるのさ。社会は結婚なしにはありえないからね。社会が鎖だとすれば、家族は鎖の一つ一つの輪のようなものさね。(略)それで人は結婚は一回しかしないんだよ。世間がそうであってほしいと思っているからね。でも、恋は、一生のうち二十度だってするのさ。人間は恋するように作られているんだからね。結婚は人が作った法律さ。恋は本能なんだよ。これは神様が作ったのさ」
『むかし』という短編の一節である。
倫理的に良い悪いを述べたいのではない。世の中には時代によって、国柄によって、そして個人によってさまざまな考え方や価値観があるといことを言いたかったのである。バルザックの小説でも、結婚してからが恋愛の本番という人物が数多く現れる。結婚は社会的な地位を確保するためのものであり、それが整ってはじめて自由に好きな人と恋ができるというのだ。
日本人を含め、現代人から見れば、「なんてことを!」と呆れるにちがいない。
しかし、いまの常識は、近年、人によってつくられた考え方(制度)のひとつに過ぎないというのも事実。
時に、異なる時代の異なる国を舞台にした小説には関節技をかけられることがある。それが思考のストレッチにもなる。
(241003 第865回)
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