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紺碧の将
Interview Blog Vol.101

与えられた環境で、自分の可能性を広げていきたい。

サステイナブル・パートナー株式会社 代表取締役丸山紀子さん

2020.06.10

奥山秀朗氏と瀧澤信氏が立ち上げた株式会社サステイナブル・インベスターのグループ会社、サステイナブル・パートナー株式会社代表取締役を務める丸山紀子さんは、パソコンも不慣れな専業主婦からパート事務員として入社後、会計経理などを経て、代表取締役に就任。会社の規模が大きくなるにつれ、家庭と仕事を両立させながら仕事に必要な資格を次々と取得し、現在10社以上あるグループ企業のすべての経理を担いながら、任された会社のトップを務めています。働き方が多様になり、主婦の活躍の場も広がっている昨今、専業主婦から転身した丸山さんの仕事への向き合い方を伺いました。

代表取締役の始まりはパート職員

丸山さんに初めてお目にかかったのは9年前でしょうか。その頃から経理のお仕事をされていたと伺っています。代表取締役に就任されたと聞いて驚きました。それはいつのことですか。

 株式会社サステイナブル・インベスターからグループ会社のサステイナブル・パートナーに異動となり、2013年の5月に取締役に就任しました。代表となったのは、3年後の2016年8月です。

丸山さんは、設立当初からのスタッフですよね。

 設立直後から、と言った方が正しいですね。2006年の3月に奥山さんとパートナーの瀧澤さんが会社を立ち上げたのですが、当時は西神田の小さなワンルームが事務所でした。証券会社時代の先輩に誘われて事務所に遊びに行ったのがお二人と知り合ったきっかけです。まだ立ち上げたばかりでスタッフもいなくて、何度か通ううちに電話番や来客があったときの応対をお願いできないかと頼まれ、その年の7月から週3回のパートで働くようになりました。

証券会社にお勤めだったのですね。

 山一證券で営業をしていました。顧客名簿を見て一軒一軒電話で営業したり、地図を片手に飛び込み営業をしたこともあります。だいたいは店内に来店されたお客様にお勧めすることが多かったです。

証券会社の営業は男性でも厳しいと聞いていますが、女性で営業をされていたとは驚きです。営業職が希望だったのですか。

 最初は秘書を希望していたのですが、大学時代の先輩で山一證券に勤めていた方から「秘書なんてつまらないよ」と言われて、それじゃあ、ということで営業を希望しました。山一證券に入社したのも先輩からの勧めです。

秘書を希望されていたということですが、大学では何を学ばれていたのですか。

 法学部で法学を学んでいました。大学に入った頃は公務員になろうと思っていたのですが、途中から法学は向いていないと思い、卒業後は銀行の一般職に就くつもりでした。でも、当時は銀行の一般職に就けるのは短大卒だけで、4年制大の女子は就職できなかったんです。入社しても、すぐに結婚して早期退職になるからという理由で。だから、銀行は諦めて先輩が勧めてくれるまま証券会社に就職しました。

仕事と家庭、二足のわらじ

昔から公務員になりたかったのですか。

 子供の頃の夢は学校の先生でした。その後も、いろいろ変わりましたが、公務員というのは一貫していましたね。結局、金融系に落ち着きましたが。

ご出身はどちらですか。

 東京の赤羽です。実は私、一度も一人暮らしをしたことがなくて、ずっと実家暮らしなんです。25歳で結婚して初めて家を出ました。

ご結婚されたのが25歳というと、会社は寿退社ですか。

 そうだったらいいんですけどね(笑)。出産を機に退職しました。ですから会社勤めは5年間です。その後の10年間は専業主婦でした。

奥山さんと瀧澤さんに出会われたのは2006年でしたね。それまで、仕事はされていなかったのですか。

 はい。2人目の子供も生まれましたし、幼稚園や小学校のPTA役員などもやっていましたからね。いろいろ頼まれると断れないんですよ(笑)。学校行事や地域の活動は嫌いじゃないですし、初めてのことでも誘われるとやってみようかなって、そういう好奇心はありますね。引き受けた以上手を抜けないので、家庭のことも疎かにしないよう工夫しながらなんとかやっていました。それも家族の理解と協力があったからできたことです。

PTAの役員も結構大変ですよね。そういう下地があるから、仕事を初めても家庭のことと両立ができたのですね。最初はお茶汲みなど簡単な事務をされていたということですが、経理もされていたのですか。

 簡単な会計はやっていました。会社を辞めてから11年のブランクがありましたし、スキルもほとんどなかったので一から教わりました。そのうち会社の規模も大きくなり、必要に迫られて経理業務をすることになりました。それが2009年ごろです。

与えられた環境を拒まず生かす

経理は独学で学ばれたのですか。

 瀧澤さんから簿記を覚えたほうがいいと言われ、3級の資格は自力で取得しました。さすがに2級となると独学ではむずかしいので専門学校に。会社が学費を出してくれて、通わせてくれたんです。通わせてもらっている以上、早く取得しないと申し訳ないと思い、出勤前と退社後も通い続け、集中して3ヶ月で資格を取得することができました。その間も家事をやりながら、夜遅くまで勉強したり。それでも家事は少し手抜きしてしまったので、家族には申し訳なかったなって思います。

その後も、次々と資格を取得されていますね。

 仕事上、どうしても必要に迫られてという感じですが、生命保険代理店の資格や、内部管理責任者の資格も取りました。家庭との両立は大変ですけど、もともと勉強は好きで、つらいと思ったことないですね。
 弥生会計ソフトなども覚える必要がありました。会社の規模がどんどん大きくなるにつれて、やることが増えたという感じです。その間、スタッフの出入りもあって、担当を引き継いだりしているうちに、出来ることが増えていきました。

プライベートでは、何かご趣味はありますか。

 趣味というほどでもないですが、バレーボールをやっています。いわゆる「ママさんバレー」です。中学、高校とバレー部だったんですよ。子供と同じ幼稚園の先輩ママさんに誘われて、今のバレーボールチームに入りました。
 パートタイマーで働いていたころは、週1回の休みの日は保育園の読み聞かせのボランティアにも行っていました。今はなかなか好きな本を読む時間もないのですが、読書は好きで、子供たちに本を読んであげるのも好きですね。地域活動が好きで、読み聞かせ以外にもいろんなことをしてきましたし、子供も手が離れた今はもっと積極的に社会貢献をしたいと思っています。

教師になりたかったとおっしゃっていましたからね。

 ええ。いつか、駄菓子屋をやってみたいな、なんて夢もあるんですよ(笑)。猫を飼って、のんびり店先に座って。子供たちが集まってくるような駄菓子屋さん。夢ですね。

将来の夢は駄菓子屋さんですか。いいですね。今の仕事では、なにか目標のようなものはありますか。

 これまでもそうだったように、その時々で必然的に目標のようなものができますから、目の前のことを一つひとつ手を抜かずに積み上げていくことでしょうか。
 今はお客様と直接お話をする機会が増えましたので、お客様が喜んでいただけるように、お客様一人ひとりのニーズにあった資産運用の方法をアドバイスできるようにしたいと思っています。そのために商品や証券税制、相続など幅広く勉強しつづけていきたいですね。
 今の自分があるのは、会社でいろいろなことにチャレンジさせてもらったおかげですし、うまく仕事を回せるのもスタッフに支えられているからだと感謝しています。代表として、みんなが力を合わせて仕事ができるよう、これからも心を配っていきたいと思います。

(取材・文/神谷真理子)

Information

【サステイナブル・パートナー株式会社】

〒162-0843 東京都新宿区市谷田町3-13 神楽ビル3F
TEL:03-5579-8360  FAX:03-5579-8361

 

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