便利さと引き換えに、生活の中にあった豊かで価値あるものを失ってきた。
「便利な世の中になった」というセリフは、もう古いのだろうか。それほど、世の中は「便利」であることが当たり前になっている。しかし、便利であることは絶対的に良いことだと疑いもせず、ひたすら便利さのレベルを上げてきたが、どうやら行き過ぎてしまったと感じている人は私だけではあるまい。
便利なものの代表なものに、コンビニエンスストアがある。街中では数歩歩けばコンビニにぶつかる、というくらいあちこちにある。食べ物から日用品や衣料品、文房具など〝効率よく〟揃っている。
われわれ日本人はそれが当たり前だと思っているが、これほど品揃えのいいコンビニは日本以外にはない。ヨーロッパではコンビニがほとんどなく、大抵のものは専門店で買う文化が根づいている。アマゾンも日本ほど浸透していない。コンビニはもともとアメリカ発祥だが、日本という土地に根付いた、特殊な業態だと言っていい。
上掲の言葉は免疫学者・多田富雄の『からだの声をきく』から引いているが、彼はマドリッドに滞在中、コンビニがないことに驚いたと書いている。切らした歯磨き粉を買いたかったが、ホテル近辺にコンビニはなく、はるか先のドラッグストアまで買いに行かねばならなかったと。
私もヨーロッパの街々でそのような体験をしている。コンビニどころか自販機さえない。そんなふうだからヨーロッパは経済的に衰退したんだよ、という声も聞こえてきそうだが、彼らは、〝ほどほど〟がわからない生き物である人間のなかで、比較的〝ほどほど〟がわかっているようだ。
「代わりに専門の肉屋やハム屋がある。そこに行けばどんな種類の肉でもフレッシュなのが手に入る。……面倒と言えば面倒だが、買い物の楽しみがある。コンビニエンス・ストアがない代わりに、すばらしいインコンビニエンス・ストアが軒を連ねていると思えばいい」(多田富雄)
本当の豊かさとは、こういうことを言うのだろう。
建物の入口の自動ドアの普及率は日本が圧倒的に世界一。タクシーの自動ドアもあって当たり前。以前、イギリス人が「われわれは自分でドアを開け、自分で閉めたいんですよ」と語っていたが、自分でできることは自分でやることに、生活の質を上げる秘訣があるように思える。
「簡単・便利」に慣れてしまったコスパ重視の現代日本。はたして、それによってなにを得たのだろうか。
便利なことはけっして悪いことではない。現に、私の仕事もパソコン抜きでは成り立たない。以前のように、アナログに戻ることは天地がひっくり返ってもできない。そういうことを踏まえつつ、これ以上大切なものを失わないよう、〝ほどほど〟の便利さがどのあたりなのか、探りながら生活をおくっている。
(260910 第904回)
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