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いまふりかえれば「最低の経済生活」だったけれど、「最も恵まれた日々」だった

松岡正剛

 2024年、惜しくもこの世を去った〝知の巨人〟こと松岡正剛の言葉。

 筆者は何度か松岡正剛と福原義春(資生堂会長)の文化サロンに参加したことがあるが、彼の博識ぶりには舌を巻くばかりだった。

 表掲の言葉は、成功した多くの人が語っていることと共通するものがある。人は豊かになりたくて努力をするのに、いざ目標を達成すると、なんらかの虚無感を覚える。その虚無感は「目標に向かっていくときのひたむきな姿」を失っていることに依拠するのではないだろうか。

 表掲の言葉の前の言葉も紹介しよう。

 ――僕は1967年から73年くらいまで「夏はソーメン、冬はいなりずし」という日々をおくったが、その途中で結婚し借金をして「遊」を創刊した。そんな僕の周りにお金のない連中ばかりが集まってきて、それでも一緒に仕事をしたいというふうになっていった数年間は、いまふりかえれば「最低の経済生活」だったけれど、「最も恵まれた日々」だった。

 

 今から20年以上前、生命学者・森岡正博氏が無痛分娩をもじった「無痛文明」という造語を使って、当時の世相を評論していた。曰く、現代社会は痛みや苦しみを前もって除去しているが、それらがなくなって快楽や快適さが増加したにもかかわらず、心のなかの空虚感は増している。無痛化すればするほどその瞬間は苦しみが消えて、気持ちがいいのだけど、そのあとで再び心の空洞が襲ってきて、なんとも言えない息苦しさに悩まされる、と。

 その指摘から20年以上経た現代は、さらにその傾向が強くなっている。社会のなかの痛みや苦しみは可能な限り除去されている。今やプロスポーツの世界でも厳しい指導はご法度。会社内での上司から部下への指導も、きわめてセンシティブに行われるようになった。その結果、目先の苦痛はなくなった。

 しかし、人と人が真剣に向き合う機会が減り、意欲ある者が伸びにくくなっているのも事実。その先にあるのは、社会の停滞であろう。

 人間はどうすれば幸福を感じることができるのだろう。大脳皮質というとんでもないバケモノは、私たちに対して永遠のテーマを突きつけてくる。

(251013 第885回)

 

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