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人の世は風に動ける波のごと そのわだつみの底は動かじ

東郷茂徳

 開戦当時の外相、東郷茂徳の辞世の句である。山田風太郎の『人間臨終図鑑』より抜粋した。

 東郷は昭和16年東條内閣において外相の地位にあり、そのときの日米交渉でアメリカからつきつけられたハル・ノートの苛酷さに憤然し開戦に踏み切ったが、のちにその責任の深重を痛感し、鈴木内閣の外相時には終戦に死力をつくしたという。
 敗戦後の東京裁判でA級戦犯として投獄された東郷は、およそ3ヶ月間で原稿用紙800枚に及ぶ回想録『時代の一面』を書き上げ、病により60歳で絶息。この辞世の句は、激動の時代を生きてのち遠望する東郷の凪いだ心と深淵なる眼差しを感じさせる。

 

 吉川英治の『宮本武蔵』の中で、武蔵は弟子の伊織にこう諭す。

 

「あれになろう、これに成ろうと焦心より、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ」
 
 元マラソン選手でスポーツジャーナリストの増田明美さんは、五輪選手として檜舞台に立ったあとの不遇の時期、武蔵のこの言葉を心の支えにしていたという。
 
 人の心は動くもの。
 あれがいいと言えば、あれを求め、これがいいと言えば、これを求める。
 風に流れる雲のように自在であろうとする一方、世間の風聞に一喜一憂する心もあれば、泰然自若とした富士の山のありようを切に願うこともあるのが、人の心というものだろう。
 なるほど自然の姿は、そのまま人の求めたる姿だとわかる。
 
 東郷のいう「わだつみ(海)」もそのひとつ。
 大海原の風によって波立つ海面の、その底は深閑として動かない。
 外界がどんな状況であろうと、海のなかは平かな時が流れているのだ。
 そのことを知るには、自ら海中へ降りてゆくしかないのかもしれない。
 深く深く沈み込めば、荒波に拐われることもないだろうから。
 
 動く心は動かない心を求めるが、移りゆく季節で姿を変える山川草木のように、動かない軸は動いてゆく世の中にあってこそ作られるもの。
 
 風に動く波のような人の世も、よくよく眺めてみれば不動不易の場所はある。
 自分にとってなにが流行でなにが不易なのか。
 折に触れ、自分自身の腹の底をじっくり眺めてみるのもいいかもしれない。

 

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(201224 第690回)

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紺碧の将

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