若くして褒められすぎるのは、毒を飲まされるようなものである
作家、隆慶一郎の短編小説『死出の雪』にこの言葉はある。かつて浄瑠璃や時代劇で人気の演目だったという「崇禅寺馬場の敵討ち」。大和郡山藩士の生田伝次郎が、遠城三兄弟の末弟・宗左衛門を斬り出奔。弟の仇を討つために長兄の時左衛門と次兄の喜八郎が脱藩して伝次郎を追うというこの演目。悪徳非道な伝次郎に、清廉潔白な遠城兄弟が敗れた悲劇として語られてきたそうだが、著者はちがった。史実を読み込み、「もしかすると、こういう理由からではなかったか…」と、悪者伝次郎に光を当てた。その理由の裏には、この言葉のようなことがあるからだろうと。
末弟、宗左衛門は剣術の達者だった。
さらに大島流の槍術でも、将来を期待される英才だった。
容姿端麗の美男でもある。
当然、周りからちやほやされる。
槍と刀、双方にすぐれているため試合も負けなしである。
かくして宗左衛門の鼻は天狗のごとく高くなり、幼稚で高慢な言動は止まることを知らなかった。
若くして褒められすぎてしまった宗左衛門。
その末路は、推して知るべし。
身から出たサビ。
自業自得。
悪因悪果で、早々と「死」を招いてしまう。
江戸の時代を見下ろす著者は、天に代わって警鐘を鳴らす。
「若くして褒められすぎるのは、毒を飲まされるようなものである。ロクなことにならないのは、今も昔も変わりはない」
スポーツ選手、芸能人、若手起業家など、
若くして成功した人に、宗左衛門のような人は多い。
というか、人間は弱い生きものだから、多かれ少なかれ誰の裡にも宗左衛門を宿しているのかもしれない。
それがまだ未熟な若年者であれば、扱うのは容易ではないだろう。
若さは一切を突破する力と与謝野晶子も言っているように、青年期のエネルギーは真夏の太陽のようにギラギラと痛い。
その強烈なエネルギーの使い方を間違えると、その鋭利な矛先が跳ね返り己の身をつらぬく。
褒め言葉は適量であれば妙薬だが、過量であれば毒薬になってしまう。
しかも、じわじわと身を蝕むのだからやっかいである。
効力があるうちに生き方を学んだ方がいい。
そうすれば、まちがっても死にはしない。
今回は、「五月雨」を紹介。「さみだれ」です。梅雨の季節に東北を旅していた松尾芭蕉も――五月雨を集めて早し最上川 と詠んでいます。続きは……。
https://www.umashi-bito.or.jp/column/
(200701 第650回)