教わらなくてできる話が本当の話です
横田南嶺
鎌倉円覚寺管長、横田南嶺老師の言葉である。横田老師の法話に惹かれて円覚寺を訪れる人も多いという。
老師の法話を少しでも多くの人に伝えたいという思いから、弟子の一人で黄梅院の副住職がブログに掲載したものが法話集としてまとめられている。その中の一節である。
教わらなくてできる話とは、どんな話なのか。
老師はこう語る。
「禅では、毎日の暮らし(朝早く起きて、お経を読んで坐禅をして、お粥を食べて、掃除をして……)すべてが丸ごと修行でありますから、それら自分で体験したことと、感じたことを素直に話をすればいいのです」
つまり、体験談である。
人に何かを伝えようと思ったとき、それが相手に伝わるかどうかは、いかに上手く話すかということ以上に、その話に温度が感じられるかどうかだろう。
体験したことを話すときは、誰でも熱く語る。その温度が相手に伝わるのだ。
たとえ、人から聞いたり何かで読んだだけの話だとしても、それを実体験すれば温度をともなう話に変わる。
人は体験からしか学べない。
喜びも怒りも哀しみも楽しさも。
嬉しいことを共に喜んだり、悲しみを癒やしたり、苦労が理解できたり、成功を賞賛できるのも、すべて、自分が体験していればこそできること。
体験から生まれた話には、話の道筋ならぬ血の道が通っている。
(160619 第207回)