遊びは文化よりも古い
著書『中世の秋』で知られるオランダの歴史家、ヨハン・ホイジンガが、人間と遊びの関係を論考した著書『ホモ・ルーデンス』の冒頭は、この言葉で始まる。「ホモ・ルーデンス」とは、ラテン語で「遊ぶ人」を意味する。
ホイジンガは、人間活動の本質は「遊ぶこと」にあると説く。
人間の文化は最初に「遊び」として発生し、長い間に進化したのだと。
この著書のあらすじを記したものには、こう書いてあった。
「本来の『遊び』とは、日常から離れ、利害得失から逃れることが重要であり、制約を受けた時間と空間の中でオリジナルな規約をもつのが『遊び』である」と。
何やらこむずかしいような気もするが、要するに、「子供の遊び」が本来の遊びなのだということだ。
そこには、大人が決めた時間と場所の制約がある。その限られた時間と空間の中で、子供は夢中に遊ぶ。
子供が何もないところから遊びを生み出すことができるのも、何かの制約があるからで、「いつでもどこでも」はだらだらとするだけで遊びの天才である子供にとっても夢中になりにくい。
子供たちは、損得ではなく、純真無垢な心で自由な発想を膨らませ、現実とも非現実ともつかない空想の中で遊ぶのだ。
世の中には遊びから生まれた製品も多いし、芸術的なものであればなおさらである。
遊びが結果的に仕事につながるケースも少なくない。
ホイジンガは、自分の青春時代であった19世紀は「技術の時代」といい、技術は「遊び」の対極にある「まじめ」なもので、「まじめ」が強すぎると文化は生まれにくいのだという。
日本の歴史を見ればよくわかる。とりわけ、東山文化が開花した室町時代や町人文化が栄えた江戸時代がそうだろう。
勤勉家の日本人が生み出した文化芸術は、辛いことや苦しいことも飲めや歌えと楽しみに変えてしまう日本人特有の「遊び心」の成れの果てではないか。
遊びを忘れた現代人に、ホイジンガは「遊び方を思い出せ」と警告する。
(160326 第179回)