定型という枷があるから言葉の自由を得た
寺山修司
現役バリバリ、日々仕事に疲れている人はこう思うだろう。「早く休みにならないかな」。あるいは「早く定年を迎えて自由に過ごしたい」と思う人もいるはず。
しかし、いざ自由の身になってみると、自由をもて余すことが多い。自由は制約があってこそ輝くのであり、制約のない自由はただの漫然とした時間に過ぎない。
だから自由の本質を知っている人は、自由を野放しにしない。自ら枷をはめ、自由の輝きを失わないようにする。それが生活のルーティンではないか。
寺山修司は、短歌や俳句などの定型詩を創作するときに、制約があるからこそ、言葉の表現の自由や可能性が広がっていることに気づいたという。なるほど五七五七七という定型や季語は制約でもあるが、それゆえに短歌や俳句は洗練された、美しい文学へと昇華した。
このことは人間についてもいえる。戦後、人権を尊重するという観点から、あまりにも自由が野放しになってはいまいか。それによって心の充足感が得られないとしたら、まさに本末転倒であろう。
自分にとって、自由の意味を担保する〝枷〟とはなにか。ここに人生の充足度を高めるカギがありそうだ。
(250801 第882回)
髙久多樂の新刊『紺碧の将』発売中
https://www.compass-point.jp/book/konpeki.html
本サイトの髙久の連載記事