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紺碧の将
Interview Blog Vol.106

日本をよりよい状態で次の世代にバトンタッチするためになにをすべきか。それが生涯のテーマです。

政治活動家中田宏さん

2020.10.01

 

「ぜったいに勝てるはずがない」と言われた横浜市長選を制したとき、中田宏さんは37歳、政令指定都市の市長として史上最年少でした。当時財政危機にあった横浜市の大改革を断行し、市の借金を約1兆円減らした実績は、日本の地方自治史上に比類のない歴史的功績だと筆者(髙久多美男)は信じています。

中田さんの来し方を紹介すれば、途方もなく長い文章になってしまいます。生い立ちから昨年(2019年)初頭までは、拙著『結果を出す男 中田宏の思考と行動』を参照していただくとして、今回は昨年8月に行われた参議院議員選挙以降の活動についてお聞きしました。

落選が自分の役割を見直すきっかけに

昨年夏の参院選はほんとうに残念でした(※自民党より比例全国区で立候補するも次次点で落選)。

 選挙は結果がすべてですし、落選したということは私の不徳のいたすところです。

中田さんが比例全国区で立候補していたことをもっと衆知させる手立てはなかったのでしょうか。私の周りでも、選挙のあと、「中田さん、立候補していたの?」という話をずいぶん聞きました。

 客観的な総括として、告示日ぎりぎりまで出馬表明をしなかったことが敗因のひとつでもありますね。

ぎりぎりまで立候補するかどうか迷っていたのですか。

 立候補することは少し前に決めましたが、ずっとメディアの出演予定が入っていましたので、正式発表できず選挙の1カ月前になってしまいました(選挙に立候補することが明らかになると、放送法に基づきメディア側が出演を制限する)。

選挙は難しいですね。実績のある人、志のある人が必ずしも当選するとは限らない。反対に「え~~?」と思う人が何回も当選しています。

 結果的に多くの支持者を落胆させたわけですから、大変申し訳なく思っています。

初めて中田さんを取材したとき(2017年)から思っていましたが、一貫しているのは組織票に頼らないことです。いま、ほとんどの政治家が組織票に頼っています。効率よく集票できるわけですから頼りたくなる気持ちもわからないではありませんが、それだとどうしてもしがらみができてしまい、思い切った政策を実行できるなくなる場合もあります。昨年の参院選での中田さんの闘いは、組織票に頼らないでどこまでできるかという試金石でもあったと思います。

 そういう意味では、応援してくれた人は多いけど組織票には及ばなかったということです。ただ、落選したことが過去を総括するきっかけになりました。また総括しないならば落選した意味がありません。なぜ、学生の頃から政治家を志してきたかと言えば、髙久さんが書かれた本にもあるように、日本という国をより良い状態で次の世代にバトンタッチするために自分のような(しがらみのない)人間が物申すことが必要だと考えたからです。そのためには国会議員になり、立法に携わることが近道ですが、初めから国会議員という立場でないやり方もあることはわかっていました。広義の政治家とはどういうものか、と。じゃないと「落選した、失敗した」で終わってしまいます。

世の中には、ある失敗によって軌道修正を余儀なくされ、結果としてそれが功を奏したというケースが多いですね。

 コロナの感染でも同じようなことが言えます。どうしても感染対策とか表面的なことに関心が向けられがちですが、一方でこれをきっかけに自分の生き方を見直すきっかけになった人も少なくないでしょう。社会という総体で見ても同じです。これまで取り組んできたけれど、遅々として進まなかった課題が一気に進んだものがあります。東京一極集中から地方分散に流れが変わったり、リモートワークやIT化が一気に進んだり、満員電車が解消されたり、国内で製造することが見直されたり……。昨年の私の落選もポジティブなものにとらえ直すことができます。考え方をシフトするということです。

では、中田さんにとって、広義の意味での政治活動とはどういうことなのですか。

 まず、国民一人ひとりの政治への関心を高めることです。いまはさまざまな情報が洪水のように押し寄せてきますが、政治について日常的に考え、自分の考え方を醸成する場が少ないと言っていいと思います。昔なら新聞の社説を読むのが当たり前でしたし、家に帰れば親父の小言を聞かされたり、床屋談義のようなものがあったりと、いやおうなく政治について考えざるを得ない社会環境がありました。

あったとしても、ただ批判の対象だったり、欲求不満のはけ口だったりが多いですね。世間には政治家と芸能人はどんなに叩いてもいいという変な共通認識があるようです。たしかに、権力に対し批判的な眼差しは必要です。チェック機能が働かなければ、権力は暴走するからです。しかし、ただ無責任に批判するだけなら子供でもできます。

 だからこそ国民のレベルを上げる必要があります。きちんと政治について考え、自分の意見を持つ人を増やす。なぜかと言えば、いま、世界は大転換期にあります。IT技術やグローバリゼーションが加速度的に進み、どの国でも格差が広がっています。政治、経済、環境、雇用……どれをとってもフリクション(摩擦)が高まっています。それらは一過性のものではなく、むしろこれからますます解決が困難になっていくと思います。本来なら人類が知恵を出し合って解決しなければいかないはずなのに、個人も会社も国も、自分中心主義が蔓延している。そういう状況下にあって、われわれはどうやって諸々の問題を解決し、この国をより良い状態で次の世代にバトンタッチすることができるのか。そのことを真剣に考え、解決策を探る時期にきています。そのためには、一人ひとりが社会全体を〝自分ごと〟として考える必要があります。これまでのように、政治家を批判していればいい、なんでもかんでも国がやってくれるという態度では国全体が沈んでしまいます。

中田さんは、一貫してそのような問題意識を持たれていますね。では、政治家でない立場で、具体的にどのような活動を志しているのですか。

Japanistを増やすという新しい試み

 私は東京と大阪で約10年間、札幌、福岡で約5年間、若い経営者を対象にした勉強会を開催してきました。10年間、そのような活動を続けてきてわかったことは、若手の経営者は発想が柔軟で行動力もあるということです。彼らはやがて社会に対する影響力を増していくでしょう。彼らは小手先ではなく、社会の本質を学べる機会を欲しています。カネカネカネといった拝金主義ではなく、自分のビジネスがどうしたら社会にプラスになり、その結果、自分たちの収入につながるかを真剣に考えている人が多いんです。そこで、4つの地域だけではなく全国に広げてはどうかと思ったのです。

社会に影響力のある人たちに対し、きちんと社会について考える力をつけさせることも重要な政治活動だと?

 そうです。もうひとつヒントになったのは、各地に呼ばれて講演をしたあと、聴講者の皆さんから「とても勉強になった」という感想をたくさんいただいたことでした。世界の転換期の話、日本の政治の話や経済の話、地域の活性化の話などです。よくよく聞いてみると、いまはいろいろな情報があるけれど、世の中を本質的に見ている情報は少ないと異口同音に語るんです。ならば、多くの人に社会を学ぶ場を提供することも私の役割ではないかと思うようになったのです。

中田さんでしたら、松下政経塾で学んだ経験もあり、国会議員としての経験も、地方自治体の首長としての経験もある。さらに毎日、ご自分のサイトで時事問題を解説している(中田宏チャンネル)わけですから、世の中の見方を教える立場として最適ですね。具体的には、現在4会場の勉強の場を全国各地に増やすということですか。

 とても私が教えるということはできません。本質的な課題を提起することで、考えてもらう機会にしてもらうことまでです。コロナの影響で一気にオンライン化が進んだことを追い風とし、オンラインでの開催を中心に進めたいと考えています。もちろん、コロナ感染の状況を見極めながらではありますが、リアルな勉強会も併せて行いたい。以前、シリコンバレーに行ったとき、ビジネスのエコロジーということが盛んに言われていました。ビジネスを展開するうえで必要な環境を総合的に整えるという意味のエコロジーです。

ビジネスの生態系ですね。漆工芸なら、木地師をはじめさまざまな職工さんや道具を作る人が周りにいて、すべて連関しているというような。

 そうです。私が考えているのは、いま事業を行っている人はもちろん、これから起業しようとする人に対してもさまざまなプロがノウハウを提供し、サポートする仕組みを作るということです。時にフェイス・トゥ・フェイス、時にオンラインで新しいビジネスのインキュベーションを図り、ビジネスの生態系を作ること。弁護士、税理士、特許弁理士、後継者がいない企業のためのM&Aや後継者のマッチングなど、あらゆるビジネスサポートのプロが有機的に連携できる仕組みです。いずれ、「あそこに入っていないと、ビジネスができない」と言われるような仕組みを構築し、成長させていきたいと思っています。

それはもう政治家を越えて、立派な社会活動と言えますね。

 そのためには、思いつきで始まって打ち上げ花火のように終わってしまうのではなく、持続可能な運営母体が必要だと考え、私自身が身銭をきって出資し、株式会社を設立すると決めました。

そういうことを考えられる政治家はいませんね。

 このプロジェクトの着想は私ですが、自分ひとりではできません。すでに問題意識を共有する仲間も集まっています。オンライン環境を作るエンジニアにも参加していただいています。そこで、髙久さんにひとつお願いがあるのですが。

え? なんでしょう。

 10年間、『Japanist』という雑誌でご一緒させていただき、日本の本質を発信してきました。じつは私はJapanistというネーミングをとても気に入っています。これからの日本を担っていく人材こそ、まさしくJapanistという名にふさわしいと考えています。そこで、先ほどお話ししたプロジェクトの名称にJapanistというネーミングを使わせていただきたいのです。運営母体となる会社もジャパニストにしたいのですが、いかがでしょうか。

それはありがたいことです。私としては10年間でやりきった感があるのですが、世の中への影響となると、ほとんど成果がなかったことも事実です。情報媒体とはちがった形で中田さんに継承していただけるのはうれしいですね。

 ありがとうございます。

事業はいつ頃、スタートする予定ですか。

 年末には始めたいと考えています。今後、資本力を持った大企業が富を独占し、ますます格差が広がると見通しています。それでは一握りの人だけが勝者になって、ほかは敗者になるようなものです。そういう社会ではなく、多様な生き方が成り立つような仕組みを作りたい。かといって、ただお金を配っても自立支援につながるわけではない。そのために、自立を促す仕組みを作ることが私のような人間の役割ではないか、昨年の落選や今回のコロナ禍をきっかけに、そういう思いを強くしました。

そのプロジェクトが成功したら、日本人一人ひとりの意識が変わるでしょうね。全国のあちこちにジャパニストがいるような国にしてください。期待しています。

 ありがとうございます。

(取材・文/髙久多美男)

 

 

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