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紺碧の将
Interview Blog Vol.107

心と身体の健康は暮らしの根本から。医食同源をカレーで表現する。

南インドカレー専門店 月とスパイス上杉龍矢さん

2020.11.05

 

インドカレーと食養生が融合したスパイス薬膳カレーを提供する「月とスパイス」。2019年12月に栃木県鹿沼市にオープンし、瞬く間に人気店となりました。店主の上杉さんは理学療法士と食養生コーディネーターの資格を持ち、「月とスパイス」をオープンするまでは整体の仕事をしていたと言います。 「食」を通して「暮らしの根本から改善する」健康づくりを目指す上杉さん。理学療法士から人気カレー店の店主になるまでの道のりにはどのようなターニングポイントがあったのか、詳しくお聞きしました。

価値観を変えた怪我

「月とスパイス」をオープンする前は理学療法士として整体のお仕事をしていたとのことですが、その道に進もうと決めたのはいつ頃からでしたか。

 高校3年生のときですね。ある出来事がきっかけで、理学療法士を目指そうと心に決めました。それまでは明確な目標がなく、どうしようか悩んでいたんです。

進路を決定するほどの出来事とは、一体どのようなことだったんですか。

 先生には大学進学を勧められましたが、明確な目的がない大学進学もどうかと思い、しばらくは迷っていたんです。そんなとき、所属していたバスケット部で大きな怪我をしてしまいました。膝と足を壊し、試合に出られなくなりました。辛いリハビリをしましたが、担当してくれた先生は肉体的にも精神的にも支えになってくれました。理学療法士という資格があることも、ここで初めて知りました。このときの経験を経て、僕の価値観は大きく変わっていきました。

それはどのような変化でしたか。

 怪我をするまではスタメンで試合に出ることが部活のすべてという考え方でした。しかし試合に出られなくなり、チームのサポートに回る立場になったことで、僕は今まで試合に出ていないメンバーに支えてもらっていたことを理解しました。試合に出ていなくてもチームの役に立てることを実感し、奉仕をする喜びを知りました。これをきっかけに価値観は大きく変わり、人を支え、人の役にたつ仕事がしたいと考えるようになったんです。それならリハビリを支えてくれた先生のような理学療法士になろうと思い、その道を目指すことになりました。

大きな怪我をしたのはその時だけでみればとても辛い経験、マイナスの出来事だったと思います。でもそれがあったから今の上杉さんがあるわけですね。

 見えなかったものが見えるようになると、ハッキリと価値観って変わるものなんですね。人と人が支え合うこと、その本質を理解しました。試合に出られなくなり、居場所がなくなったと思いましたが、チームをサポートをすると喜んでもらえる。それが自分も嬉しくて、そこに豊かさを覚えました。この挫折を経験したことで、明確に理学療法士になると決めて、大学に進学しました。

食事療法との出会い

上杉さんは旅の経験も豊富で、それを含めると大学進学後の経緯が少々複雑になるので整理させてください(笑)。大学在学中に東南アジアやインドに旅に出る、その後理学療法士として栃木県の病院に勤務。3年後に退職してまた1年間の旅(国内・海外)に。その後は長野、東京、栃木で整体の仕事をする流れで合っていますか。

 そうですね。学生の頃から視野が外に向いていたので、就職をしても定年まで病院勤務はしないだろうと思っていました。

旅で経験したことも多かったのではないでしょうか。

 いろいろな国に行きましたが、印象深いのはインドですね。どうしても行きたい国のひとつでした。好き嫌いがハッキリと別れる国みたいですね。僕は嫌いが最初の印象でした(笑)。でも帰る頃にはすっかり受け入れていて、また行きたくなるような不思議な国でした。

 海外に出ると日本の豊かさと環境のありがたさがよくわかります。宗教や食文化、いろいろな価値観を持った人間がいることを肌で感じました。

理学療法士として病院に勤務された3年間は上杉さんにとってどのようなものでしたか。

 理学療法士の仕事は大好きなんです。仕事が楽しみで仕方がないくらいでしたから。でも病院という大きな組織に属していると、「僕のしたい医療」と「病院でできる医療」のズレが生じてきます。次第に患者さんを支え、健康にするための“医療の本質”について考えるようになりました。そこから予防医学に興味を持ち、東洋医学の食事療法と出会いました。

 だから僕にとってこの3年間は、1つの医学の側面を学び、また新しい医学と出会うきっかけになった大切な期間だったと言えますね。

退職後に旅をして、その後は長野で整体の仕事をされていますが、なぜ長野だったのでしょうか。

 山登りが好きなんですが、北アルプスの山頂で偶然、日本食事療法士協会という東洋医学ベースの食事療法を推奨している会の代表と出会ったんです。話を聞くと、これから僕がやりたい医療と同じことをすでに実践している方で驚きました。これをきっかけにその先生に師事して、どんどん食事療法を学んでいきました。旅から帰ってからは、もう一度どこかの病院で勤めるよりも、整体と食事療法を合わせた医療をしたいと思っていました。それでその先生がいる長野に引っ越したんです。

衝撃の料理と出会う

退職後の旅はまた学生の頃とは違った経験になりましたか。

 今度は明確に「食」というテーマを持って、国内と海外を行ったり来たりの旅でした。トルコ、ギリシャ、バルカン半島からイタリアに入ってヨーロッパ。アフリカはモロッコだけ行きました。現地で育つ作物・気候・歴史・人の性格、それらが全部つながっていて面白かったです。

 もちろんインドにも行き、そこで大きな出会いがありました。

 上杉さんがカレーを作り始めるきっかけとなった出会いですね。

 現地で体調を崩し、寝込んでしまったんです。それでホームステイ先のお母さんが僕の体をいたわって料理を作ってくれました。日本でいう野菜炒めとか煮物のような現地の家庭料理なんですが、それが衝撃的に美味しくて。胃も相当弱っていたと思うんですが、体に染みていくのがわかるんです。

 インド料理はスパイスを使うことが特徴ですが、スパイスって薬なんです。健康=食という考えがこの出会いで確信に変わり、スパイスを使う料理、つまりカレーに興味を持つようになりました。

その時点ではカレー屋をはじめるという考えはなかったんですよね。

 そうですね。当時はそれを仕事にするという発想がありませんでしたから。旅の後、長野では病気にならないための体作りを目指す整体院を4年間やりました。その間、カレーは趣味で作っていたんです。ほぼ独学で、本を読んだりいろいろ試行錯誤して。料理は好きですからね。

整体の仕事と平行して、趣味でずっとカレーを作り続けていたんですね。ではカレー屋をはじめようと思ったきっかけやタイミングはどのようなものでしたか。

 地元の栃木に戻っても整体の仕事を続けていました。そのうち近くのゲストハウスの女将さんと知り合いになり、「整体だけではなくてカレーも作れるよ」という話をしたんです。それでリクエストしてもらい、そのゲストハウスに5人ほど集まって、みんなに食べてもらったんですね。そうしたらプロ並みに美味しいって言ってもらえて。次はこれをちゃんとしたイベントにしようという話に広がっていったんです。

 隔週でイベントをやるようになり、規模も30人集まるほどになっていきました。整体の仕事をしながらカレーを作る生活が続くなかで、美味しいと言ってもらえるたびにカレー作りがどんどん楽しくなってしまって(笑)。整体も楽しい仕事なんですけど、カレー作りの方が楽しさで上回るようになっていました。

場の力を実感した出来事

それでカレー屋さんを開くことを意識するようになったんですね。

 “場の力”に気がつけたのも大きなきっかけですね。イベントに毎回かかさず参加してくれた方がいるんです。実はその方、鬱病と診断されてしばらく家にこもっていたそうなんです。あるとき「実は鬱で苦しんでいたけれど、このイベントのおかげでいろんな人と出会えて、まったく知らない世界を知れて価値観も広がって、自分を見つめ直すきっかけになりました」と言ってくれました。その話を聞くまでそんな事情があったとは知りませんでしたから、予期せぬ出来事に嬉しくなりました。それってカレーがきっかけでそういう出会いのある“場”が生まれたからなんですよね。だからお店をはじめることで、そういう場を作ろうと思ったんです。

人に奉仕することの喜び、高校のときに根付いた気持ちが今こんなにも大きくなっているんですね。

 やはり僕の根っこはそこにあるんですよね。整体もカレーも人の役にたつための手段にすぎません。今はその手段にカレーを選んでいるけれど、整体の仕事は今でもやりたいくらい楽しいものなので、できればどっちもやりたいです(笑)。

そしていよいよ「月とスパイス」をオープンします。初めての飲食店経営、その感想を聞かせてください。

 思った以上に忙しくて必死でした。今は昼営業のみですが、最初は夜も営業していました。睡眠時間が3時間くらいになって……。それでも楽しさが大変さを上回っていて、気力で続けていました。体が限界を超えていたことに気づかず、1度体調を崩しましたけどね。

 でもオープンと同時にたくさんのお客様が来てくれて、応援してくれて、嬉しかったんです。その期待に応えたかったし、何よりカレーを食べて喜んでもらいたいという気持ちがあったので、自分の体調は後回しにしてしまいました。健康がどうとか言っているのに自分がこれではいけませんよね(笑)。

失敗があるから今がある

2019年12月にオープンして2020年4月にはコロナ禍真っ只中。影響はどうでしたか。不安を感じることもあったと思いますが……。

 そのときは不安感じるよりも、先のことを考えていましたね。普段から短いスパンでの数字(売上)に気持ちを左右されないよう、なるべく局面を俯瞰するように心がけているからです。これからどのように飲食業界が動いていくんだろうとか、オンラインストアやテイクアウトが注目されて業界全体がどう移行していくんだろうという部分を注視していました。「月とスパイス」も4月から一時的に店内飲食からテイクアウトのみに移行したため、オペレーションの構築という部分では大変でした。

冷静ですね。オープン当初から人気店、勢いがあるなかでそれに流されず、予期せぬ事態にも慌てず、経営者としては一步引いたところで物事を見極めて判断しているんですね。

 おかげさまでテイクアウトが好評だったのと、考える時間が持てたことも大きいと思います。確かにコロナ禍で売上は半分ほどに落ち込みましたが、これを機に夜の営業をなくしたことで、体力と気持ちに余裕が出来るようになりました。それに店内飲食の代わりに始めたテイクアウトはコロナと関係なく、これからもずっと続けていけるものです。この期間があったから「月とスパイス」の今のスタイルを確立することができた。そう考えるとマイナスのことばかりではありませんでした。

これまでのお話を聞くとまさに順風満帆といった感じですね。壁にぶつかったと感じるときはありませんでしたか。

 いっぱりありますよ。順風満帆なんてとんでもない、たくさん失敗してます(笑)。特に整体で独立してからが大変でした。整体の仕事だけでは食べていけませんでしたから。深夜の荷降ろしや単発で引っ越しのバイトをしたり、病院でパートをしながら凌いでいました。やはり想いだけの見切り発車で順調にいくことの方が珍しいんです。経営的な感覚も局面を俯瞰する習慣も、そういう経験から養われていると感じます。

順風満帆なイメージを先入観で持ってしまっていましたが、そういう辛い時期もあったんですね。

 仕事が上手くいかないと家庭にも影響が出ますし、苦しかった時期はたしかにありました。大きな組織から離れて個人で働くって「こういうこと」なんだと学びました。やりたいことがあって、自由で理想に向かって、なんて聞こえはいいですが、実際は責任や苦労をすべて自分ひとりで負う重圧の上に成り立つものなんですよね。それを理解できているかどうかが飲食店を経営する上でとても大切なことだと感じるんです。こういう辛い時期を乗り越えてきたからこそ、今の僕がいるのだと心から思います。

今後の目標についてお聞かせください。

 料理教室や健康教室、挑戦したいことはたくさんあります。整体もチャンスがあればやりたいです。でも焦らずに、まずは「月とスパイス」を長いスパンで考えた上で軌道にのせるところからです。カレーと健康、それを理学療法士がやっているというブランディングを固めて、次の展開はそのときどきの判断で徐々に広げていけたらいいなと思います。

(取材・文/村松隆太)

Information

【月とスパイス】

〒322-0038 栃木県鹿沼市末広町1916

TEL:0289-88-9064

フェイスブック:https://www.facebook.com/tsukitospice/

 

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